ここのところ、メール交換、つまり私が入っているMLでの書き込みも重要な仕事のひとつと |
なっています。 そのMLの構成員は占星術師、研究者、社会運動家、主婦、ヒーラー(治療家)、
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精神科の先生、コンピューター関係者、公務員、教育者、音楽家、フリーター、
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アーティストなどなどもちろん、居住エリアも年齢層もバラバラです。
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でも、共通していることは、みなが<こころ>や、<魂>といった、どちらかというと戦後、
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おざなりにされてきた人間の感受性について、丁寧に、真摯に向き合おうとしているということです。
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真摯に向き合うということは、自分の人生において、そこで得た経験や情報、知恵などを |
社会に還元し、今の混乱し混濁した社会(世界)にひとつのトランスフォーメーションを
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促そうと、それぞれがそれぞれの役割の中で行っていくということです。
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みなの活動のフィールドはいろいろです。それぞれが自立した関係でありながら、
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ネ ットの利点を利用しつつ、オーガニックなネットワーク活動を行っています。
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(いわゆる単なる出会い系サイトとか、チャットとは違うんだけど…と思っていますが)。
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研究者の中には哲学者や、心理学者、医者、文学者もいますが、私たちの活動を喩えて言えば、
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今までは、例えば医者が患者に処方する場合、その人が「胃が痛い」といえば、胃を検査し、
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胃の状態をピンポイントで改善するクスリを処方するというのが、一般的ですよね。
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でも、私たちはさらに胃が痛くなった社会的(外的)要因や内的要因(こころの問題など)、
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その人の信念(ライフスタイル)、さらにはその人が今置かれている惑星的環境
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(宇宙の中のひとりとしてのさまざまな惑星の影響、場所の影響)などについても検討します。
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そんなやり方を、<全体的要因を有機的に関連づけながら検証する視点もしくは手法
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(ホリスティックな視点)>と言います。その上で、胃が痛いという現象への対処療法として、
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もっとも適切な手法の解答を出します。それはクスリの処方ではなく、1ヶ月のバカンスかも
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しれません。安心して何でも話 せる友人の派遣かもしれません、同じクスリでも
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効き目がゆるやかで多様で、一番大事な自分自身に向き合うためのクスリになるかもしれません。
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同時に、つらい現象を緩和させながら、その現象を引き起こす原因にむけての根治療法を
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検討していきます。その人に、どこか別の場所に引っ越すことや、
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アロマでリラックスする時間を持つように勧めるかもしれません。怒りを吐き出して、
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自分が本当に望 んでいる自分とは何なのかを見つめるための鏡を差し出すかもしれません。
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いずれにしても、今、病んでいるものは、人であったり、社会であったり、
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制度であったりさまざまです。その<病み=闇>の状態を、冷静に、多様に見極め、
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みえないものの影響も真摯に受け止めながら、治療のための手段を考え、実践していこう、
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そのためにはさまざまな分野の人間が集まって、情報交換し、具体的活動に結実していこうよ、
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というのが、ネットワーキングの始まりです。
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誤解されている方はいないと思いますが、念のために言いますね。
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ここで言う病とは、社会で起こっているさまざまな出来事のことを指しています。
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そんな訳で、ひとりの呟きや、ため息だって、社会(経済活動も含めています)や
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人を変えるきっかけになるのだと私は信じ、日々、お仕事をしています。
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あ、ひとつ、言い忘れた。その手法としてすごく大事なものが、
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私にとってはアート(芸術)や文化活動なんです。
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今日は、始まりということもあり、ちょっとコムズカシク書きすぎましたが、
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今後は 、もっと気楽なコトガラを徒然なるままに書きたいです。ではではまた。
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今日は、私が企画ディレクターをしている高松の 四国村で
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The BOOMというバンド(島唄、風になりたい等でご存じ!) のコンサートを行いました。
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タイトルは「青空の下、星空の元で」夕暮れから夜の闇へ。
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宮沢さんのヴォーカルが、四国村の農村歌舞伎舞台に響きます。
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野外ならではの解放感。うぐいすの声や、木々のざわめき、
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時の移り変わりを空の変化や闇の訪れに感じながら
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1200人の観客だれしもが、それぞれの感動を持ち 帰ってくれたようです。 |
素敵でしたよ。ほんと。この場所でしか、表現できないもの、そして感じ取れないもの…。
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人は一期一会を感じることが実は永遠につながるってこと。ゼロから始める企画ですが、
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こうして、自分も含めたみなをハッピーにできる創造力って本当にすごいと思う。
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私は常に、どこかからやってくるギフトみたいな創造力に支えられ、こうして毎日、仕事をしている。
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追伸:宮沢さんと楽屋で話したけど=主催者の役得、すごく気さくでいい人で、
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そして格好良かったよ。もうドキドキでした。
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四国の帰りに名古屋に立ち寄り、5日から始まるアーティストの所純子ちゃんの展覧会の準備に、
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へろへろにつかれていたけど、OZAKIさんの観音スマイルにほっ。
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「古田さん、HPの日記、ちょっと長すぎますよぉ〜〜〜〜」
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はいはい、微笑みながら観音は厳しいチェック。まあ、最初だから許してね。
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今回の展覧会、トコロテンと、つい、名付けてしまいましたが、
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こうやって、フラッグアート展で出会ったアーティストたちが、進化していくのは本当に楽しい。
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だから、私も応援するし、力を出す。そういうシンプルな法則。
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帰り際、「今朝の夢に豊川悦史が出てきた」という話で盛り上がって、岐阜へ向かう。
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結婚指輪は、薬指だよね。OZAKIさん。
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久しぶりに、駅前からバスに乗る。夜の町並みを見ながら、鵜飼い屋のバス停のアナウンスに、
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やっと「鵜飼い船乗り場はこちらです」とのアナウンスが入る。
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私がこの街に生まれる前からこのバス停はあったし、鵜飼いもやってたのに、
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今年初めて案内アナウンスが入ったなんて、
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なんだか本当に、この街は足下を見ていなかったのだなとしみじみ思う。
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それから、もうひとつ、バスの中で思ったこと。かっこいい男の子って、本当に少なくなった。
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今日から所純子ちゃんの初めての個展「トコロテン」が始まりました。
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(企画に快く協賛してくださったフランネル・ソファのみなさま、ありがとうございます。
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お世辞でなくて、とても素敵なソファです。ココロとカラダを包むような優しさと、
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変にベタベタしない少しだけクールな距離感を持つデザインが、私は大好きになりました。
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あとね、色彩が実は、日本の浮世絵の色なんですよね。とても綺麗です。
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ぜひ、いつか、私も欲しい!と思いました。本当です)、
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そのソファに純子ちゃんの、手作りの人形(ぬいぐるみ)約40体がいろいろな表情で<居ます>。
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純子ちゃんの脳味噌から、ぐにぐにゅと飛び出してきたような、数々の人形たち。
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だから、なんだか、トコロテンをイメージして、そう名付けました。
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でね、今、「トコロテン」を、最初に「ところてん」と打ち込んで何気なく変換したら、
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なんと・・・心太・・・と出たのです!
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なんと、まぁ、ところてん、とは、太い心なんですね。
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なんだか、これも素敵です。心が太い。太っているんじゃなくて、太い、んですよ。
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(これ、近いようですごく違うので注意してくださいね!)
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心は、とっても繊細で、だからこそ、こころの筋肉は、ほっておくとどんどん堅くなって、
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まずくなる。まずい、ってのは、実は自分の人生を味わえないってことでもある。
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味わいのある人生、人生を味わう気持ち。何かを美しいと感じたり、詩を察知したり、
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喜びも哀しみも、いろいろな気持ちを感受できるからこそ、
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現世をより良く<美味しく>過ごすことができるハズ…。
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でもね、繊細であるってことと、弱いってことはまた違う。
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弱さには常にフラジャイルな強さがつきまとう。
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そんなこんなを知ってる弾力性こそが、太さだって気がします。そしてそれは素敵です。
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私は純子ちゃんの小さな人形に、そんな太い心を感じています。
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アートだからって奉り上げるのではなく、触ったり、抱きしめたり、
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時には放り投げてみたり、全身で素直に向き合える作品って、<太い>です。
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だから、やっぱり{トコロテン}なのですね。
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みなさん、お時間ありましたら、ぜひ、足を運んでくださいませ。
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<追伸:純子ちゃん、お疲れさま。観音OZAKIさんをはじめ、スタッフの皆さんもご苦労様です>
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日々、楽しく仕事をしようと思ってはいるのですが、
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もちろん現実はそんなことばかりではない。だから身体も壊すし、心も壊れる。
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そんな時はとにかく空を見て、自分を客観視しようと務めつつ、ひたすら、ぼけっと、空を見る。
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しばらくすると、ああ、この空は、あの場所に住んでいるあの人にも続いている、
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そうだ、もう何年も会っていないあの人や、海の向こうのあの場所にも…
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そんなふうに思うと私の心は少しずつリラックスしはじめ、
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いろんなネガティブな思いで固まっていた気持ちも緩み、その隙間に風が吹きはじめる。
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そうだ… みんなそうやってゆるやかにつながっているんだ。そう思った次の瞬間、
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私は孤独感に<ひとりで>陥っていたんだなぁと発見する。
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ひとりであれこれ考えていると、自分の今置かれている状態が、どうしても変わらない状況だとか
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(本当はそんなものはこの世には存在しないのだけど)、孤立無援だとかと自分で決めてかかってしまう。
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でも本当は、すごくいろいろなモノやコトや人とのつながりの中で生かされているという、
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まぎれもない現実の中で私たちは生きている。ちょっとぐらい仕事でいろいろあったって、
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生かされている自分の生命線みたいなものがブチ切られるわけではないし、
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そうだぁ、インターネットをしていると、この1台のコンピューター(私はMAC派です。何と言っても!)
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の向こうには、 無数の人の、良かれ悪しかれ<想いと情報>にアクセスでき、自分の問いに答えてくれる。
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空もネットも同じだね。ココロはこんなに可能性に満ちているじゃん。
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そんなこんなのポジティブ連鎖が始まれば、私の落ち込みはいつの間にか、ワクワクモードに変化して、
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「そ〜んなに嫌な仕事なら、スパッとやめて旅にでも出よう!そうやって長生きした方が、
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社会のためにも絶対なるじゃん!」なぁ〜んて、
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おめでたくって、おだてられるとすぐに木に登る(?)獅子座的性格が、
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今日のような梅雨の合間の爽やかな太陽みたいに明るく顔を出してくる。
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そうなるとこっちのモノ(何のこっちゃではありますが…)で、日頃、運動不足でカチカチの身体を
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う〜〜〜んと背伸びさせ(私、太極拳をやりたいのですが、どなたかいい教室を知りませんか?)、
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そうだぁ、Aricoさん(ピアニストでコンポーザーです。素晴らしい音楽を紡ぐ人、詳しくはこのHPの
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TPICSをみて下さい!)に電話しよう、そして飛び切り素敵なコンサートを企画する話をしよう、との
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気持ちが芽生え、早速電話。 いろいろ二人で盛り上がって受話器を置くと、
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デザイナーの小寺さんからの電話が鳴り、ちょっと打ち合わせをしたいとの連絡。
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で、私の自宅に来てもらっていろいろ話すうち、ふと、先日、四国村でコンサートをしてもらった
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音楽家の 長屋和哉さんがまだ岐阜にいたということを思い出し、電話をかけると、
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長屋さんもたまたま近くにいて、合流となる。
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3人で、アート展の話や岐阜、青墓の伝説、小栗判官や、なぜ関ヶ原はいつも戦いの舞台となったかとか、
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山や神社の話、 遊行の民や岐阜顔についてなどなど、とりとめのない話をする。
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こうしたとりとめのない…と思う話の中に、実は次のステップがあったりするから面
白い。
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インターネットも電話線も目には見えないけどみんな、つながっている。
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私は小寺さんと長屋さんの二人の顔を見ながら、なんだか妙なデジャヴ感(既視感)に襲われていた。
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ゆるやかな風が部屋をとおり抜け、時間と空間がふわっと通り過ぎていく。まるで今日の空みたいに。
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先週、大阪で起きた悲しい事件。もう悲しくてやりきれなかったです。
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問題提起として考えるには大きすぎて、ここでは書ききれないのでやめておきますが、
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人間の運命というものについて、考えされられました。
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結局、「どうして?」という問いには、誰も答えられない。
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犯罪者の心境を推測したり、そこまで追いやった社会や環境を追求し、
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批評することはできたとしても、すべての「どうして?」の答えには決してならない。
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人間には誰しも平等に生き続ける権利があるはずで、それを一方的に奪われたということは、
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怒り以外の何物でもありません。
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同じ頃、戦争を永久に放棄したはずのスイスで、海外への軍の派遣を認めるという国民投票が行われて、
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51パーセントの支持(これで可決していいのか?という疑問もあるのですが)で、
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派遣が認められたというニュースが流れました。
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この世に生まれた以上、すべての人にあるべき生き続ける権利と、
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そして少しでもより良く生きたいという願いを、他者が踏みにじったり邪魔したりは
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決してできないハズなのに。
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そんな、シンプルな基本がどうして忘れられてしまうのでしょうか。
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戦争も、殺人も、どんなに複雑な概念を与えようとも、
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結局は、<自分さえよければ=自国の経済・信念が守られれば 他者=他国 を傷つけてもいい>という
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他者を思いやる想像力の欠落と、とても自分勝手な<気持ち>のはじまりに過ぎないような気がします。
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やっぱり、要はひとり、ひとりの生き方なんですね…。
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先週は東京に行っていました。いろいろな方と沢山打ち合わせをしたり、
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あと、ずっとお世話になりっぱなしの私の師匠である編集者の工藤高子さんに会ったりと、
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有意義な時間を過ごしました。
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思えば、大学出たての私に仕事を教えてくれた工藤さんは
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講談社で「WITH」を立ち上げたりと、百戦錬磨、一流の仕事師です。
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私と丁度12歳年が離れていて、いつだってどこでだって、私の前を歩いて、
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いろんなお手本を示してくれます。
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当時、私は彼女から、電話の応対の仕方、取材のアポイントの取り方、原稿のチェック、
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どこでOKをだすかなど、仕事についてはもちろんですが、
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お酒の美味しい飲み方や、お寿司の頼み方、相手をご馳走する時のさりげない伝票の持ち方や、
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ファッションのセンス、常にコンパクトな暮らしぶり、
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そして何より、すごいハードワーカーでありながらいつも前向きに人生を楽しむ生き方など、
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沢山、沢山、学ばせていただきました。(最初はすべて、真似からです)
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そんな工藤さんと、本当に久しぶりに赤坂のカフェで長い時間、話をしました。
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今も昔も、私が工藤さんにいろいろ相談したり、話を聞いてもらうという構図は変わってはいませんが、
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当時は考えてもいなかった自分を取り巻く新しい状況や、問題も生まれてきたのは確かです。
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例えば、お互いに「死」というものを、身近に感じるようになったということ。
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それは必然的に、今を如何に生きるかってことにつながるわけで、
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この数年の中で、私たちの前をいくらかの肉親や友人の「死」が通
り過ぎ、
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くっきりとした足跡を刻んでていっています。そんな中、彼女が
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「でもね菜穂ちゃん、私、52歳の今なら、まだ、新しい人生に挑戦できる時だと思うの!」
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と明るく言いました。 「そうだね!ほんと、そうだね!!」
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実は最近いろいろあって、「あ〜〜〜もう今年で40歳になっちゃうよぉ」と、
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今まで年齢なんてまったく気にしていなかったこの私が(!)、ちょっと気弱になっていたのです。
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でも、その言葉を聞いて、彼女より12歳も若い私が、未来への可能性に対し、
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自ら心を閉ざしてど〜〜〜すんのよ!?もっと頑張らなきゃ、頑張れるよね!って本当に勇気づけられ、
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さらに自分の前向きな気持ちこそが、
充実した未来をつくるのだと思い直すことができました。
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もうひとつ、工藤さんは、
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「40代は、今までの実りを受け取る時期でもあるのよ」とも言ってくれました。
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その時、私は、たわわに実った真っ赤な林檎の樹を想像しました。
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う〜〜ん、おいしい生活、夢見つつ、深く植えよ!だね。
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昨日、田舎の道ばたを車で走っていたら、 小泉首相のポスターが貼ってあった。
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確かに今の小泉さんの顔にはオーラがある。
彼の確信を、信じたい、という思い。
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みな、多分、同様な気もちなのだろう。
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香川県の情報ネットワーク施設のオープニングイベントの仕事をしている。
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サンポート高松、というのは、元々は、本州と四国を結んだ宇高連絡船の乗り場だった場所を、
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瀬戸大橋ができたことで連絡船が廃止されたため、その港湾地区一帯の再開発でできたもの。
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私は、このエリア一帯の歴史を紐解き、連絡船が運んできたものとは何だったのか、と
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いうことについていろいろ考えてみた。
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これは何も連絡船に関わらず、いかに人は情報を伝えてきたか、ということへの考察でもある。
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尊敬する松岡正剛さんの著書の中に「情報の歴史」という膨大な歴史書がある。
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余談だけど、教科書問題がいろいろいわれているが、
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私は、この本を歴史(世界史、日本史、公民を一挙網羅!)の教科書にすればいいのに、
と
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思っているくらい、これはすごい本。
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さらに、この本の解説書でもある「情報の歴史を読む」というものもあるのだが、
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これも素晴らしい本でまさに、私のバイブル。
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<情報はひとりではいられない>
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これは松岡さんの秀逸なコピーだ。私たち人間の種もひとつの情報として宇宙からやってきた。
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そして自己編集を繰り返し て今の私たちがいる。
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運ばれるもの。運ぶもの。そしておとづれるもの…。
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連絡船が運んだものは、ひとだけではなく、さまざまな情報の往来だった。
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それらは潮の流れを信じるものに運ばれ、そして手から手へ、こころからこころへと運ばれていく。
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連絡船が、インターネットに変わっても、そこにある信頼のネットは変わらない。
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…というようなビデオを作りました。私は私の本当を発信する。
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受け取った人は、それらを編集して誰か送る。そこに生じる小さなずれ(GAP)が面
白い。
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ずれが生じることなんて、当たり前。伝言ゲームは必ず、ずれるし、遅延する。
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でも、そのずれを前向きに「信頼」するから、手放せる。
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これが無くなったら、情報は統制されてしまうのだ。
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ところで、小泉さんに集まっている、そして発信される情報は、グッド・ギャップであることを願っている。
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そして、ギャップが一人歩きして、本気のネットが出来上がり、新しいアクションを期待したい。
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連絡船は今も走る。 信頼のバトンは、
これからも、さまざまなかたちで、手から手へ渡っていくと、
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私は信じたい。 同時に、私も私らしくバトンを手渡す人でありたい。
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一昨日まで四国にいた。
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いくつかの仕事があったのだが、 岐阜と高松の県民性の違いなどもいろいろ学習できて有り難い。
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山の国の人々と、海の国の人々。 日本って、実に多様だ。
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今朝、新潟の知人からメールを受け取った。
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彼女はいつもとても明るくて、元気でわくわくするメールをくれる。
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それは彼女自身が、まわりの出来事に対し、
常に驚きと、好奇心、
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そして、感謝の気持ちを自然に持っているからだと思う。
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以前、岐阜県国民文化祭の仕事をしたときに(Kannon-ozakiさん、お疲れさまでした!)、
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そのプロジェクトの名前が、岐阜県の地名にも掛けて、「GIFU
TO GIFT PROJECT」だった。
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そんなふうに、世の中に満ちている情報や、自分のまわりの出来事を
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すべてGIFTだと思うことができたとしたら、きっと、もっと、日々の暮らしは楽しくなるにちがいない。
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新潟の友人の言葉。 「せっかくの贈り物をちゃんと受け取らなくちゃ もったいない!」
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ほ〜〜〜んと、そうなんだ! もったいない、って大事だよね。それは有り難い、につながるものね。
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有り難くって、感謝の気持ちに溢れてくると、人は自然にわくわくする。
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うわさ話だけでなく、森羅万象、何でも好奇心を持ち始めると
瞳がきらきら輝いて、
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やっぱり<わくわく>オーラが発光する。
人生、<わくわく>だけで、解決しないことも多々あるけれど、
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自分自身を見つめ直す、こころのバロメーターにはなるはずだよね。
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世界や社会や誰かを無理矢理変えようと思うのではなく(だいたいそんなことは出来ないけど)、
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まず、自分がなりたい自分になり、気持ちの良い、固有で素敵な生き方を実践し、示していく。
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そんな姿を見て、いいなと思う人が現れて、まず、自分をみつめ、
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そして少しでも正直な自分に向けて変わりはじめる。
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その積み重ねが、この社会に大きな善の集団意識をつくるのだと思っている。
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そんなふうに素直に循環する気持ちは、流れる川のようで澄んでいて、いろいろなものを育む。
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ふと、長良川を思い出す。最近、行っていなかったことに気づいた。
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今度の休みには、頑張って早起きして、河原へ行ってきたいと思う。
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私のアイディアの源が、いつもそこに流れている。
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