寒い日が続くうちに、実に暖かいサービスを受けた話を書き残しておきたい。
1月の下旬、ゴルフに行く前夜だった。名古屋の繁華街、栄で遅い食事を終えて外に出てみると、ネオンの明かりの中に白いものが踊っていた。ホテルに帰ろうとして歩いているうちに舗道は徐々に白くなっていった。また雪がふってきたのだ。名古屋に滞在して3回目の雪だった。
翌朝、雪は降っていなかった。千種駅から中央線で高蔵寺へ向かった。途中乗りこんでくる通
学の高校生らが騒がしくなった。「傘を持ってこんかった」と舌打ちしている。走り出した電車から反対側のホームに目をやると、屋根の無いそこには、髪の毛を白くしているOLの姿があった。風が出ているようで、雪は斜めに刺してくる。やはりまた降り出したか。観念して目をつむる。しばらくして腰の携帯電話が鳴った。ゴルフ場を手配してくれた中條君からだ。何処にいるかと訊く。あと10分ほどで、待ちあわせの高蔵寺駅だと答える。急いで車を駅に回しますといって電話は切れた。駅の下にあるミスター・ドーナツで熱い珈琲を体に入れて車を待つ。フェアレディZが来た。走り出すと雪は止んだ。ゴルフ場までの緩やかな上り道には、融けていない雪が左右にまだあった。
実は、数日前の日曜日、久しぶりの顔合わせに喜んでいたゴルフプレイが雪でクローズとなった。東京から宅急便で送っておいたゴルフバッグは、あえなくゴルフ場から東京の自宅に送り返されるはめになった。再度のスケジュール調整ができるか、時間配分を検討した結果
、その四日後が可能になった。その日が、この当日である。またもや、クローズだろう。ハンドルを握る中條君に顔を向けると、
「オープンしてます」
と言い切った。
半信半疑でフロントにレジストするが、誰もが明るく迎えてくれる。珈琲を飲みにレストランへ上がる。客はまだ誰もいない。しばらく体を動かしていなかったからと、凍っている坂道を下りながら、練習場に行った。誰もいない。マットから外して、二、三歩前に出て、雑草の上に球を転がした。球の転がったところは、雪が剥がれて筋がついた。球は小さな雪だるまになった。今日はこの球を打つことになるのだ。球が重くて飛ばない。こういう球を打つというのは初めての経験だ。クラブハウスに戻る道で、思わず足が止まった。作業服の男女、三、四人が箒でティグランドの雪を掃いている。終ると軽トラに乗りこんで走り去っていった。
クラブハウスに戻ると、中田君の車は、桑名を出ているのでもうそろそろ着くころだと。私以外は、広告会社のアートディレクターである。中條君以外は、リタイヤー組である。もうひとりのシングル、山田さんからは、こんな日は辞めにすると電話が入ったらしい。
「お風呂には入りますか?」
と、フロントから声がかかった。何故訊かれているのか判然としない。
「今日、我々三人だけですよ、プレイヤーは」
シングル中條君が口にした。驚いた。
咄嗟に、さっきの“雪掃除隊”を想いだした。我々三人のためだけに、18ホールを整備してくれている姿が浮かんだ。…思わず、コースのほうに向かって、黙礼をしてしまった。「いや、入らずに帰りましょう、汗もかかないし…」に、
「いや、体を芯から暖めて御帰りください」
マネージャーらしき男性がすかさず、言葉を返してきた。
「いや、その、…」恐縮の極みである。
「入りましょう」いつの間に着いたのか、中田君が応えた。
そうだな、あの人達も、我々の後に暖まることが出来るのだ…と思い直して、頷いた。
前半は、ティが刺さらず、バンカーに入る球は潜る。アプローチの土は堅い。ところどころにうっすらと雪の残るグリーンホールは、当然ながら遅い。それでも、実に楽しかった。辺りの空気がピーンと張っていて、会話は耳に心地よいほどよく聞こえる。前にも後にも人がいない、いや来ない。まさにゴルフ場を貸し切っているのである。この広いゴルフ場に我々三人とキャディさんが歩いているだけである。初めての経験である。よく冗談で口にはするが、これが現実となったのである。6ホール目の頃になると、空は青くなり、が絵に描いたようにくっきりとした白い雲が我々を見下ろしていた。セーターを互いに脱ぎだした。今日、クローズにしたゴルフ場は多かったのではないか、と笑えるほどになっていた。
三人しか食事をしないのに、レストランはメニューから選んで下さいと言ってくれる。月例の常連である中條君が、支配人の水野晴彦さんを紹介してくれた。たった三人のためにゴルフ場はオープンしてくれた方である。
「先日もクローズとなってしまい、申し訳ありませんでした。東京から来ていただいたと今、お聞きしまして。本日がオープンするという判断が出来ましてよかったです。どうぞ、ゆっくりと御楽しみ下さいませ」
支配人は、私が東京へバッグを返送することになったことを御存知だったようであるが、それには応えず、むしろ自分の天候判断を誉めてもらいたいとでも言いたげな言葉に変えてくれた。
昼食後は、まったく雪も消え、空はますます青く、冬にしては珍しいほどの好天となった。それでも、コースにいるのは我々三人だけであった。海外ロケでのCM制作会社のプロデューサーやプロダクションマネージャーの決断を思い出させた。明け方4時頃の判断を毎日迫られているのだ。異国の気象であっても、その決断が一日のロケ費用60万ほどを活かすか棄てるかである。オープンすると決めた水野晴彦の支配人に、顧客満足のサービスを教えられた。
「サービスというのは、顧客が期待する以上のことを受けたとき、感じるものである」
果たして、東京でこういう経験をされた方がどれだけいるのだろうか。風呂に入る前から、既に心は充分暖められたゴルフ場だった。
そのゴルフ場とは、岐阜県瑞浪市にある、東濃カントリー倶楽部。
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