「チョナン・カン」、“超難関”でもあっただろうが、「チョナン・カン」の名前で韓国でも知られるようになった草剪剛の韓国語習得の裏話が特集された。3/16のテレ朝のスマステだった。当時訊かせてくれた韓国語の歌は、カタカナを読むという8時間にも及ぶレコーディングだったという。最初の韓国でのTV取材に流暢に応えていたのが、なんと受け答えすべて、丸暗記した韓国語だったとも打ち明けた。「チョナン・カン」の番組は、僕もよく見ていた。スマップのメンバーである草剪が、若い学生の間で知られているものかどうか、大学の下校時間に自分の顔を突きつけて訊いていたあの画面
を想いだした。認知度は予想外に低かったのだ。それ以後に始まる番組への取り組みに際し、日常会話ができるレベルにしなければと、自分を追い込んだようだ。時間を見つけては、ソウルの街の中に入り込み、言葉を増やしていった。只でさえ過密な日程が組まれているスマップではあるが、韓国語の辞書はいつも持ち歩いていたという。番組でのチョナンは、韓国へのアプローチをすべて草剪自身が1年間、等身大で触れてきたのだ。番組の進行に連れて、果
たせるかな、街でのインタビューでも、知名度が高まった。韓国政府による日本文化開放政策もあって、ノムヒョン大統領にも会見することとなり、そこで約束したのが、「いつか全編、韓国語で見られる映画を創りますよ」だった。それが、完成した。「ホテル・ビーナス」である。全編韓国語のセリフで日本語字幕付きの異色作。話しの序でに書けば、ウラジオストックで撮影し、ラストまでモノトーンだということも異色である。監督はフジTV「チョナン・カン」のディレクター、タカハタ秀太。外国語で演じることを楽しんだかのように、映画初出演の市村正親、香川照之、中谷美紀、それに「チョナン・カン」にも登場していたつんくが韓国語を操った。(さらには、広末涼子、宇梶剛士、勝村政信、中山エミリ、篠原涼子らも、カタカナのルビを振ったハングルの台本とテープで練習を重ねたという『SMAP・SMAP特別
編サランヘヨ愛の劇場&愛の唄』も、4月29日(祝・月)午後10:00〜10:54に放送。)当然だが、「ホテル・ビーナス」、韓国でも今夏上映される予定である。日本人が作った韓国語映画の評判は果
たしてどう出るか。「この世の外へ」を監督した阪本順治は、1970年代の日本と韓国の関係を『KT』で描いた。ノムヒョン大統領の前大統領・キム・デジュンの拉致事件が題材だった。(そのノムヒョン大統領は昨日3/12、野党議員によって弾劾が可決された。政変の皮肉である。)あの「半落ち」の佐々部清監督は、故郷下関で現役高校生女優を起用して、韓国の若者との恋心を「チルソクの夏」と題して描き、昨年5月下関で先行上映を終え、大反響を得ている。
世界で、主語・述語が同じ組み立ての言葉は、日本語と韓国語である。同時通
訳が一番しやすい言語である。
ところで、韓国と同じく隣国、中国での撮影に中国語を喋る日本人も多くなった。古くは「大地の子」の上川隆也の中国語から、「流転の王妃」「赤い月」での常磐貴子の中国語。「ヘブン・アンド・アース」での遣唐使・中井貴一の中国語がそれである。
一方、ハリウッド製作の「ラストサムライ」。英国でシェークスピアの舞台に立つために特訓した真田
広之の英語は、さておいて、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた渡辺謙は、特訓の成果
で、発表会の会場でも、記者団のインタビューにきちんと英語で答えていた。映画の画面
で、サムライが外国人にあれほどの達者な英語を話すというのも、奇妙な違和感を持ったものだが、映画市場を考えれば、極めて当然の演出である。トム・クルーズは、「侍とは、“仕える”という意味だ」と知って、映画制作に入っていったという。日本では、ハリウッドスタイルのオーディションを嫌った大物俳優の間を抜け、拘束1年間を(推定)5000万のギャラでも受けた渡辺が手にしたものは、開かれたハリウッドの出演依頼となった。
CMの世界では、20年も前に、英米仏のキャストスタッフとのコラボレーションは必然だった映画制作がボーダレスになってきたことはいいことだ。古くは、『ボンド』映画に出た丹波哲郎、ボンドガールになった浜美枝、『将軍』の島田陽子、『ヒマラヤ杉に降る雪』の工藤夕貴、『日本の面
影』小泉八雲(ジョージ・チャキリス)の妻をこなした壇ふみ、慶応大4年時にブロードウエーミュージカル『ファンタスティック』のオーディションに合格した別
所哲也、渡米10年目となった『キル・ビル』での千葉ソニーが浮かんでくる。日本人タレントがビジネスのために、英語力を身につける。「やれば出来る」、英会話学校のCMが聞こえてきそうな、日本人に対して格好のケーススタディとなった。
カビラ兄弟の日本語。セイン・カミユの日本語。韓国語も堪能なフローラン・ダバディの日本語。彼らは、母国語のように日本語で冗談が出る。ところで、あの小林克也の英語は、学校の授業からの逃避行であったと「徹子の部屋」で吐露した。つまらない日本の英語教科書よりも、耳新しい音楽が流れるFENラジオや生活文化を教えられた映画にどんどん引き寄せられたという。慶応義塾1年生で、既に通
訳の国家資格を取っていたそうだ。音楽から入る者はヒアリングが早く掴めるのか、韓国のアーティスト、ユンソナやBoA、シュガーも短い期間で日本語を巧く話す。
タイで生活してきた東儀英樹は、英語とタイ語が話せる。英語で生活すると決めて行ったマリナーズの長谷川滋利投手。この他にも、パックンの司会するNHKTV『しゃべらナイト』に出演してくる人物を見ていると、仕事とは言え、花火師、書道家、人力車夫、和包丁の店主などなどの口から発せられる流暢な英語に、見ているこちらは恥ずかしくなった。
僕の英語との最初の接点、中学時代の英会話の授業は、芝刈り機を初めて手に
させてくれた宣教師のフロイドの家だったし、後には、英語で聖書を購読するベ
ン沢田の授業があった。大学でもオーラルイングリッシュは、悪い点ではなかっ
た。ただ自由に会話する力はなかったと言える。日本人同士が日本語を使わない
で得意げに話しているという大学のESSの部員を気障な連中だと言い合っていた
のだから、推して知るべし、である。その後、社会人となって、話す機会も、出
ねばならないパーティもあった。国外に出ることも多かった。耳が悪いのだろ
う。この歳になっても、ヒアリングの悪さには、家族の者たちが呆れているの
だ。長男のオハイオ留学先のダッドとマムが、彼の結婚式に来日した。家族の中
で次第に無口になっていったのは、僕だった。カミサンも息子たちも嬉々として
話し込んでいた。 ところが、今日(3/15)の日経「人間発見」を読むと、東大の斉藤兆史助教授が言うには、文科省のオーラル・コミュニケーション重視に真っ向から反対してこう言っている。
『文科省には、英語教育の哲学も理念も政策もない。オーラルレイさんは基本的に間違っています。日本人が1日に1時間程度の英会話をやっても英語力が上達するわけがない。それは英会話教室に通
う人達が実感していることでしょう。そもそも英語が出来ないのは文法、読解がまだ不十分であり、その前段として日本語能力が不足しているからだということに気付くべきです。この20年、大学で英語を教えていて痛感するのは、英語のできない学生は例外なく日本語の表現力が乏しいことです。』
なんとも、恐れ入りました。
『学生でも社会人でも、日常会話でカタカナ英語を多用する人に限って英語が出来ませんね。』
日本人俳優の努力に頭が下がりました。「コミュニケーション」ということを日頃から生業としてきた我々にとって、返す言葉がありません。海外ロケ先で一度ならず三度も、Notの含まれる質問に間違った応えかたが、ロケの日程を大いに狂わせてしまったという失敗をした。それ以来、Notという単語のヒアリングにアレルギー反応を起こした自分。ビジネスの場には、インタープリーターを介することにした。それからだ、アルコールを入れてからでないと、英語は喋れなくなったのは。
昨夜、美酒に酔った国民も居る。スペインの総選挙は、マドリードでの列車爆発テロがトリガーとなり、野党が逆転勝利となった。アスナール首相は、アス無くナールになった。さて、我が国は「ノーと言える日本」になれるか。それはイラクへ派遣した自衛隊にだけだろうか。そろそろ牛肉輸入禁止を解けという米国からの危ない囁きに「ノー!」と誰が言い続けられるのだろうか。
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