まずは、上野から首都高に乗り、東名を厚木から小田原を抜け、熱海に向かった。小雨交じりの伊豆スカイラインに上がり、最終点の天城高原から、大室山の裾野を回って伊豆高原に降りた。我々夫妻が3年前、船で知り合った、いわば船友に会うためだ。船友の野村道子さんが主宰する、世界的な絵本画家のワイルドスミス美術館がある。
 「マザーグース」の絵本作家と言えば、知る人が多い。彼の原画1000点余りが所蔵、展示されている、知る人ぞ知る世界でも日本だけにある美術館である。上野には、日本で初めての国立の児童書専門図書館、「国際子ども図書館」が開館したが、いつでも行けると思いこんでいるので、まだ足を運んでいない。
 ここでもう一人の船友の作品を観ることも、今回の目的だった。今年の世界一周クルーズで知り合ったもう一人の船友、イラストレーター・飛鳥童さんの原画展が催されているからだった。彼はトロントに在住し、ビクトリアから日本まで乗船した。某広告主側にいたことも、某広告会社側に在籍した経験もあることから、とても、身近に感じさせてもらえたが、彼は、高円宮妃殿下の文章に絵を描いた「氷山ルリの大航海」(講談社)の絵本作家として知られている。「氷山ルリの大航海」は、98年の初版から現在では十数カ国語に翻訳されて出版されているそうだ。カナダ、アメリカでも多数の絵本を手がけ、数々の国際賞を受賞している国際的な絵本作家である。中でも作品「ワンダルライフ」(小学館)には、自然の中に、数々の動物がだまし絵のように描き込まれた画法が、僕は好きだ。
 伊豆高原から東京に戻って、翌日、新宿御苑の専門学校を終えた。日曜日、新幹線で名古屋に向かった。名駅では、ソーホージャパンの社長が待ってくれていた。ニューヨーク・ソーホーのナンバープレートと、ロイヤル・コペンハーゲン本社ロイヤルコペンハーゲン/日本サイトで買い求めたコーヒーカップセットとの土産を手渡ししたかったからだ。
 名駅では、太閤通り口で車に乗ったため、豊田ビル側の再開発された247メートルのミッドラウンドスクエアを目にすることはできなかった。  そのまま、東本願寺別 院に向かった。元禄15年(1702)古渡城址に建てられたのが、東本願寺別 院である。古渡城は、天文3年(1534)織田信長の父親、信秀が築いた城で、信長は13歳の時、この城で元服した。のちに信秀は末森城に、信長が清洲城に移った時に古渡城は廃城となった。徳川光友公から寄進を受けた一万坪の敷地は、明治7年の名古屋博覧会の会場になったり、県庁が置かれたり、兵舎になったりこともあったほどに、市の中では広い静かな場所である。この日は、お彼岸だった。広い院内には、多くの出店が集まり、縁日風景がそこにあった。本堂では法要が営まれ、読経が響き渡っていた。この須弥壇に両親は安置されている。
 両親の墓参を終えた頃、三人目の船友の車が別 院の山門に着いた。大府からの西出夫妻である。目の前の循環ハイウエイに乗り、小牧から一路、姫路を目指した。13時に出発して、途中、「養老」で休んだだけで、順調に走り込み、姫路東を降りたのが、16時。
 車で、彦根の先に走ったことのない僕は、それだけでぞくぞくしていた。名神高速道路が開通 した頃は、親父の車、ブルーバードで彦根まで気軽に走っていたものだが、その先の経験はない。
 おなじ時間、彦根からも工藤さん夫妻が電車で姫路に向かっている。名古屋の西出さん共々、実は、デッキゴルフ仲間である。そもそも、デッキゴルフは、にっぽん丸の甲板でしかゲームが出来ないゲームである。船を下りたら、楽しめないのである。しかし毎回、下船する頃になると、誰かがわめく冗談がある。「誰か、陸上で、デッキゴルフ場を造ってくれないかあ〜〜」。
 平らで広いスペースが要るのである。よほど、広い庭か、原っぱを持っていないと難しい。さらに、どこにも売っていないゲーム用具を新たに創らねばならないのだ。3年前にも、岡山の船友が、口にした。しかし、なかなか実現するものではない。
 なんと、それが、この度、実現したのだ。7月15日に下船してから、未だ3ヶ月も経っていないのに完成させた夫妻が姫路にいた。山縣さん夫妻だ。廃業した会社の倉庫の中に再現してくれた。いわば、本邦初の全天候型、陸デッキゴルフ場の完成である。
 神戸から乗船した彼と出会ったのは、最初の夕食の席だった。デッキゴルフに誘ってみた。数日してデッキに現れた。それ以来のデッキゴルフ仲間である。
「誰か、陸上で、造ってくれないか〜」の声に、いつもは冗談を連発する山縣さんが、真顔になっていた。下船するまでに、パックの厚み、直径、スティックの長さ、下部の形状などを計測していた。

 名古屋に墓参する時、西出さんに会うつもりでいた。その間、メールで山縣さんに「デッキゴルフ場の敷地を下見に行きたいですね」と打った。「姫路に来られるとの事、歓迎致します。デッキゴルフ場、工事期間を早めるよう、大林組に発破をかけました。王子江先生の壁画も姫路で観てください」と返ってきた。二人のお嬢さんが嫁いだので、部屋が空いているから泊まれという。これは大々的に造り上げるつもりかと、冗談には受け取れなかった。西出さんに姫路行き同行を打診したところ、乗り気になってくれた。それが、今回の姫路遠征の動機だった。
 この朗報は、デッキゴルフ仲間に次々と伝わった。結局、オープン記念ゴルフをする当日には、06年デッキゴルフメンバーの有志が駆けつけた。メンバーは、航海中、ニックネームが付いていた。



 千葉からキラー・コンドル菅谷、東京からマダラ・サムソン萩原、名古屋からグリーン・キャッチャー西出、彦根からスイスイ・マダム工藤、神戸からロング・キング松田、ナイス・チョットサエ子、明石からアルバトロス・コロス横山が集まった。福岡のユメレン・ファイター横田、茨城のジャッジ・ジィー中島は、せめてもの参加ということで茶菓子が送られてきた。  にっぽん丸のデッキは、4階にあった。コンクリート床のゴルフ場は、工場の3階にあった。「大林組」は、やはり、山縣さんらしい冗談だった。奥様と二人だけで、山積されていた在庫資材をクレーンで1階に降ろす作業は大変だったに違いない。千津子さんの腕の痣がそれを物語っている。ブビンガという木材を削った創作のスティック4本に、パックは同じ950gにするため、何度も削り直したという10個が用意されていた。

 
 このデッキゴルフ、日本発の客船クルーズでは、にっぽん丸でしか楽しめないスポーツゲームとなっている。船上のゲームとして知られているのは、欧米の客船で20世紀初頭から存在した、カーリングに似た「シャッフルボード」である。これなら飛鳥でも、ふじ丸でも、勿論、にっぽん丸でも楽しめる。MOPASのデッキゴルフは、この「シャッフルボード」が元になっていると聞く。南米航路時代にMOPAS(当時OSK)の船員達が シャッフルボードにゴルフのルールを取り入れる形で、変化させたものらしく、今はなき 新さくら丸の「さくらプラザ」屋上には、船員達がペイントした、巨大なデッキゴルフ場で発展させ、ルールを創っていったものらしい。
 9月25日、我々はデッキゴルフを楽しんでいる。天気は晴朗で、波はなし。床は揺れていない。潮水でべたつくコンディションを気にすることもない。窓の外は、時折、車の通 過音が聞こえる住宅街だ。スティックを手にすると、誰もが100戦以上をこなした海の上の感覚を思い出していた。興奮してくる。汗ばむ。窓の外は、水田が広がる。84歳から65歳の男女が、おはじきのようなゲームに二日間も打ち興じた。
 姫路を後にした我々は名古屋に戻る途中、琵琶湖畔の彦根に寄った。姫路から一足早く電車で帰った工藤さんとエクシブ琵琶湖に泊まった。そぼ降る雨の中、露天風呂で体を休めた。翌日、昼食に行くからと車は北へ向かった。道標を見ると、なんと、越前海岸に出ていた。瀬戸内海側から、琵琶湖を経て北陸の日本海に出たのだ。新鮮な海の幸が料理旅館に予約されていた。2時間半も遠出しての昼食だった。妻は米原駅から帰京した。

 翌日、彦根から名古屋に走りながら、ふと思った。今回の旅では、姫路城の天守閣にも、彦根城の天守閣にも上がった。生まれ故郷の金のしゃちほこ、名古屋城で天守閣に上がった経験はない。どちらの城外も、観光客のために城下町をリデザインした商店街が整備されていたが、名古屋城外には、こうした町並みを活かしたり、再現したりした観光客誘致はなされていない。伊勢の「赤福」がおかげ横町を面 開発したような地元企業による時代風景もない。寂しいものがあるなと。
 名古屋のテレビ塔のある栄公園に戻った。ここまでで700kmを走ったことになる。西出夫妻の車を降りた。
 栄のナディアパークに歩いた。Nagoya(名古屋)・Design(デザイン)・Youth(若さ)・Amusement(楽しさ)・Park( 人が集まり、楽しい場所)で、 ナディアパークと名付けられている。元の会社が12階にある。社の仲間と夕食を約束しているからだ。同じビルに、「ロフト」名古屋支店がある。時間があるので、そこの紀伊國屋書店にエスカレーターで上がった。ここが、明後日、9月30日を以て閉店で、2007年3月には、名古屋駅前 名鉄メルサ5階に新オープンするという掲示があった。紀伊国屋が名古屋の土地に来て10年目になっていた。つまり、僕が名古屋支社を去ってから13年以上が経っているということだ。
 平積みの中に、「世界一周」の文字が飛び込んできた。手にしてみると、過日、我々夫婦が取材を受けたものが出版されていたのだ。「してみたい世界一周」(吉田友和・松岡絵里、情報センター出版局/紹介ページ)。
 既に自宅で送られているだろうが、自分も一冊買った。3年半かけた人、80万円で行ってきた人、自転車で走ってきた人、世界一周した日本人8組が登場している。僕たちのことは10ページ分載っている。世界一周のマニュアルを作りたいと編集者が言っていたが、たしかに、旅の技術から期間別 のお薦めルートまでを網羅してある。300ページの本になっていた。
  大須の万松寺で名古屋支社の仲間と夕食を共にして、名古屋の広告事情を聞く。瀬戸電で「旭前」に向かった。高校、大学、下宿を共にした親友の家に泊まる。翌日が高校同期会のゴルフコンペだ。春日井カントリークラブでは、好天に恵まれた。半袖でも汗ばんだ。夕方は藤が丘近くの「サンプラザ シーズン」で同期懇親会に参加。昨年から今年までで、同期の3人が鬼籍に入ってしまった。献杯で始まり、近況報告をした。宴半ばで、最終の新幹線に飛び乗った。泊まっていけという友人が多かったのだが、翌日の土曜日は、新宿御苑の受講生の前に立たたねばならない。
 こうして車と鉄道、約1300kmの長い旅が終わった。快い疲労感が三日間続いた。

 


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