二日連続で僕は店員の対応で不愉快になった。
初日は近くのキンコーズで起きた。毎年印刷している新年の挨拶状が不足したので、追加の印刷に出掛けた。
実は昨年、熱海の山で雪に閉じ込められ、郵便が出せなかった。その対応策として、メールアドレスのある方へは、印刷するために作成しておいたPDFでメール送信させてもらった。ところが、メールの有り難さ。数時間後には、先方から返信があって、近況が教えられた。メール年賀状の交信で郵政省が怖れているのも解った。年賀状の数が全国的に相当減るなと思ったものだ。
最近は、「おめでとう」という言葉を入れた年賀状は書いていない。喪に服している方々にも挨拶をしておきたいからだ。そして、年末にその挨拶状は創らない。除夜の鐘を聞き終わってから、作文を始める。だから、プリンターで印刷する数も限られる。リタイアする前までは、通
常の年賀状で1000枚は出していたのが自慢だったが、その後は1/3にした。ところが、思いがけない方から賀状が届くと、慌てる。50枚も必要になった。上質紙にプリントしたマザーを持ってキンコーズに出掛けた。
カラーコピー機の番号を指示されて一枚を刷る。ところが、ホワイトの部分に赤みがかかる。店員を呼ぶ。
「これは、調整が出来ているのですか」
「いやあ、これで皆さん、やっていただいております」
「キンコーズさんは、プロですよね」
「はい」
「もし、これが営業用の商品パンフレットに使うのだったら、販売に影響が出ますよね・・・・調整してくださいよ」
「ですが、セルフのコピー機ですから」
これにカチンときた。
「セルフだから、未調整でもいいという意味ですか」
「・・・奥でやりましょう!」
ここで、調整するのではなく、マザーを手にしてオフィスの奥に向かった。僕は手持ちぶさたで椅子に座って待つことになった。
しばらくして「これでよろしいでしょうか」
前よりも幾分良くなった出来上がりに「はい」。
彼は、残る49枚を刷り終えた。会計になった。
レジで料金を訊くと彼は言った。
「セルフではなく、私がやりましたので1枚○○円になります」
「ちょっと待ってください。貴方は自分の判断で奥に入ったのです。未調整のコピー機であっても、他の利用者に空けてほしいという意味で、奥に行ったものと考えていた。しかも、自分の手でやると料金が変わりますが宜しいですかという断りも説明もなかった。通
常料金以外払う気はありませんよ」
ここで、店員の後からマネージャーらしき人物が現れた。
「店員の判断から、奥のコピー機でプリントしたものを料金説明もしないで請求することがあるのですか。セルフのコピー機は明らかに、マゼンタがホワイトにかぶっているのに、調整しないまま客に提供しているのが、キンコーズ・ビジネスですか」と切り込んだ。
マネージャーは「マゼンタ」という単語に、顔が動いた。
「キンコーズは、プロのショップではないのですか、私は、日本で最初のショップ、名古屋の池下でもお願いしていましたが、こういう未調整ということはありませんでした。会社のコピー機とは違って、さすがだと思いました。ここでは白い商品は気をつけて印刷してください、とでも注意がなされるのですか」。
その場は膠着状態になった。
「・・・・店員の説明不足でした。セルフ料金でお支払い下さい。セルフの方の色に関しては、出やすい原稿と出にくい原稿がありますので・・・・」
「マゼンタ」という用語を出したからには、一般の客とは違うと察知されたのだろうが、色調整については、自社のビジネスにプロ意識の低いことが呆れて失望した。セルフのコピー機については、マゼンタがかぶったまま、他の客はコピーをするのだろう。無対面
販売の多くなった影響なのか、店員教育がなおざりにされていても、客は従順に支払っているのだろうか。
二日目は、初日とは全く異なる薬局で起きた。病院からの帰途、寄り道をしたため、処方箋を薬に替える時間が遅れた。いつもの薬局は閉まっていた。翌日でもいいのだが、近くに大きな永寿病院がある。その周りを序でだからと、回って帰ることにした。病院の前に明かりの点いている薬局があった。さすが、大病院の前だとドアーを開けた。
「お宅にはクレメジン細粒はありますか?」
処方箋を出して、最初にこう質問した。大方は在庫がない高価な薬である。店員の女性は、それを受け取って、パソコンのキーボードを叩いた。
「在庫あります」「じゃあ、お願いいたします」と僕。
「ここは初めてですか」「初めてです」「アンケートを書いてください」用紙を渡されて書いた。
客は他に誰もいなかった。さすが、大病院の前だ。こんな時間にも開いている、そしてクレメジンという薬すら在庫がある、と感心していた。
「分包にしていただけますか、朝4錠の分は」「わかりました」 こうして数分が経った。
「70日分ですか、クレメジン足りません」先ほどの女性店員の小さな声が聞こえてきた。
「…21日分しかありませんでした」
やはりだ。感心したばかりだったのに、やはり充分な在庫量はなかったのだ。しかし、断って帰るわけにはいかなかった。奥の調薬室では、分包の機械に入れてしまってそれはもう始まっていた。薬を開封してバラバラにしてしまったからには、引き取らざるを得ない。二度手間になる。もう一度来なければならない。
会計を先に済まそうと、レジの女性に訊く。「26000円です」とさりげなく答えた。僕は驚いた。いつもが18000円ほどである。今回は、夕食に新しい薬が追加になった。そのためかと訊いた。ところが返ってきた言葉に更に驚いた。
「分包の機械を使いましたので」
「分包に料金を取るのですね、それはいくらなのですか」
「技術料の中に含まれていますので、単独には…」
「おかしいですね、請求金額というものは、すべて、積算して出てくるものです。薬以外は、貴方のところのメニューになっているはずでしょう、それにしても高い…」
「夜間料金ですから」
「え?」
「ここは一度締めて、もう一度開けているのです」意味が解らない。
「ここは、小児科の緊急患者のために夜間開けているのです」
「それは、私に該当しないですよね」
「書いてありませんか」
「何処に?店内に、ですか?」
「入口に」外に出てみる。それらしき文字は何処にも見当たらない。
「でも、夜間料金ですから…」
「それはおかしいんではありませんか?初めての来店かと問いただして、ご存じのはずだ。初めての客が来たのだから、今の時間は夜間料金になっていますが、宜しいですか、というべきではないでしょうか」
「・・・」
「昼間に出直すと、いくら違ってくるのですか」
「お待ち下さい」とキーボードを叩くが時間がかかっている。
「3000円は違います」ここでまた驚いた。
つまり、23000円である。新しい薬は5000円くらいと想定していたから、そうだろう、しかし、クレメジンも一度で持ち帰れない、分包は始めてしまっているのだから、断るわけにもいくまい。
「夜間料金は引きます」レジの女性はそう言った。
またしばらく時間が経った。幼稚園児らしい年頃の泣きわめく子供を引き連れて母親が入ってきた。子供が余りになくので、処方箋を店員に預けて外に出て行ってしまった。
会計の段になって、26220円だという。手持ちの金に1000円が不足した。残りのクレメジンを取りに来る時に1000円を支払うと言い残して出た。
外は冷えていた。毛糸の帽子をかぶって、ダウンジャケットを着込んで、硝子窓に映るのは、年金暮らしの、正に年寄りの姿だった。年寄りの患者だと見くびられたのだろうか。「見た目が九割」という本があったな。浅草通
りの信号を渡ってから、割引前の料金を請求されたことに気づいた。うかつに支払った自分にも腹が立った。明日もう一度確認しようと、帰った。
翌日、高ぶる気持ちを抑えながら薬局に入った。今度は、ワイシャツにジャケットという服装で入った。店員はすべて入れ替わっていた。「昨日不足分の萩原さんですね」1000円を払えというのかと、腹に力を溜めた。「昨夜のことはお聞きしております。不足分のクレメジンです」店長がカウンターに出てきた。
処方箋をよく見ないままで、在庫があると答えた。初めての客に夜間料金の説明がなかった。入口には今も夜間料金の文字がない。そして昨夜は、最初の金額のまま請求された。分包料金もお宅では請求するのか。いつもの薬局では無料である。従って今後は、利用しない。ここまでを聴いていた女性店長がこう言った。
「夜と昼は、別会社なのです」
「経営者側の問題で、客側には関係のないこと」
「夜は夜のメニューでパソコン計算しますので」
「そんな不便なパソコンの使い方があるだろうか」
「店員がまだ慣れていなくて」
「緊急患者用に開けている薬局とは思えない釈明ですね」
「25220円頂いておりましたので、夜間差額1440円御返金いたします」
23780円だという。いつもの薬局の試算では23540円という数字を既に得て来たのだ。
同じ処方箋でこうまで誤差が出るのは、240円が初めての客のデータを打ち込む費用だという。
客のデータを打ち込む初期情報費用を客が払うということらしい。それにしても、ここでは、そのまま請求された金額を払っている客ばかりなのだろうか。
病院の請求項目に厳しい批判の声が上がってきた。そろそろ、薬局の請求項目も明細が示されるべきだ。建築費用の曖昧な○○一式にも似た悪習慣が罷り通
っている。患者は、病状に応じて服用を指示される薬剤に関して、それが1回いくらのものか、知る必要がある。飲み忘れや飲み外しをしてはならないと自覚させ、病状を治そうとする気持ちを高めるためにも、医者も薬剤師も一緒になってサポートすべきではないか。ましてや、老人医療の負担増となった現在、再考する時期に来ている。
この2日間、製造業ではない、委託サービス業での店員の説明不足が、客に不満を与えた。
CSI、「顧客満足度」という言葉を我が国に普及させたのは、白鴎大学・佐藤知恭教授である。兎角、満足度ナンバーワンになったとされる企業は、大きい文字でそれを伝えようとする。しかしながら、芳しくなかった企業は声を潜める。企業のスローガンや理念には、やたらに「お客様と共に、お客様第1」と明文化する。命を載せている車メーカーは、日本の財閥系でありながら、リコールを繰り返し、相変わらずコーポレイト・コンプライアンスが不足している。同族企業の破綻が頻発する日本で、我が社の松永先輩が描いたあのペコちゃんのキャラクターも、今では、失敗してしまったという舌を出した顔に思えてならない。あらためてCSIというマーケティング用語を噛みしめて貰いたいものだ。
佐藤教授が命名し、日本に初めて紹介した「グッドマンの法則」というのがある。顧客満足に関する著書を多く出した中の一冊に、それはある。
「グッドマンの第一の法則」:『不満を持った顧客のうち、苦情を申し立て、その解決に満足した顧客の当該商品の再購入決定率は、不満を持ちながら苦情を申し立てない顧客のそれに比較してきわめて高い』。(『イラスト版顧客満足ってなあに? 〜CS推進室勤務を命ず(1992年日本経済新聞社)』91ページ)
第2の法則:『苦情処理に不満を抱いた顧客の非好意的な口コミの影響は、満足した顧客の好意的な口コミの影響に比較して2倍も強く販売の足を引っ張る』(同101ページ)
第3の法則:『企業の行う消費者教育によって、その企業に対する消費者の信頼度が高まり、好意的な口コミの波及効果
が期待されるばかりか、商品購入意図が高まり、かつ市場拡大に貢献する』(同102ページ)
佐藤知恭教授は僕の師でもある。文化放送勤務の彼が青学の非常勤講師をスタートした時の僕は第1期生だった。先生の学生への精力的な愛情の注ぎ方が、僕に日大芸術学部で永く教えるエネルギーになった。そして未だに大学生と縁が切れないのも先生の影響である。
二日続きの不愉快な想いは、僕の中に先生を近づけた。先生の1周忌は2月12日。偲ぶ会は17日に青学会館で行われる。合掌。
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