そして、私はあの事件の直接の被害者にはならなかったであろう、この街に住む第三者、
中でも日本人の言葉を聞きたいと思った。
まず、この街ではあの日のことを“ September 11th(セプテンバー・イレブンズ)”
もしくは、あの日以降という意味で“After September 11th”、
または“After the fall”と呼んでいることを知った。
fallとは、当然、建物の崩壊も差しているし、あの秋の日の出来事という意味もある。
また、崩壊し、くずれ落ちたのは、何も建物ばかりではないであろうということも安易に想像ができる。
人間も、人間の命も、そして信頼や、夢や、平和への思いや、
さまざまなものが一気にあの場所でfallしたのである。
ある友人は、事件の起きたダウンタウンから離れたエリアに住んでいたので、
ブラウン管の中で事件を知り、見続けていたという。
その意味では日本で見ていた私たちと何ら経験としては変わりがない。
「だからニューヨーク全体が壊滅したみたいに報道されているのがすごく嫌だった」と彼女は言う。
しかし、もちろん、ストップしてしまった地下鉄や、休みになった会社や学校、
夥しい数の星条旗やローソクの炎、煙と砂埃の湿った街の実感は、永遠に彼女の中に刻まれていく。
そして彼女の部屋に今もある防塵マスクのリアリティ。さらに
「でも、一時は、いつどこで自分も死ぬかもしれないと覚悟して生活していたんだよ」
という言葉の重み。そこでふと思う。ではアフガンの人々の日々はどうなのだろう。
過去の世界大戦を経験していた人々はどうだったのだろう。
自分ではどうしようもない不可抗力により、日々、自己の生命が危険にさらされ、
常に死を覚悟して生きざるを得ないということは、
人の心を無意識の内にどれ程歪ませてしまうことかとあらためて考えた。