また別の友人は、ちょうど現場の近くのダウンタウンの職場に向かっている途中で、突然地下鉄が止まり、
何事かと地上に出ると、WTCから煙が出ているのが見えたそうだ。
火事だと思い別の路線に乗り換えようとした時、携帯が鳴り
「ペンタゴンもやられた。テロだ。すぐ戻ってこい」と自宅でテレビを見ていた彼女の夫からの連絡を受けた。
何が何だか分からなかったが、周りの人々も一斉に来た道を戻り始めたので、踵を返して小走りで歩き始めた。
そして、いくらか歩いてふと後ろを振り返ると、先ほどまで煙を噴いていたビルの姿が
一瞬の内に視界から消えてしまっていたという。彼女は言う。
「あの時、ひたすらWTCに背を向けて歩いていた時、何故だかまわりの多くの人々は、本当に、静かだった」
多分、わめいていたのは、編集されたテレビの中のマイクをもった一握りの人だけだったのではないだろうか。
あとの人々は、訳の分からない目の前の現実に対し、
ある言いしれぬ直感にも似た絶望と虚無感が一気に彼らを襲い、本当に言葉を失ってしまったのではないか。
絶望の果てに横たわる静けさ…。 私は彼女に尋ねた。
「日本で、沢山の反戦を訴えるメールが送られたり、さまざまな行動、例えばニューヨーク・タイムズに
 反戦の新聞全面広告が市民の大量の募金で出されたことなんかを知っている?」
残念ながら彼女も、そしてそのほかの大部分の人々がそれらの事実を知らされていなかった。
あの頃、私たちは日本にいて、何も出来ない無力感に苛まれながらも何かをしたくて、
大量のEメールを小泉首相やブッシュ大統領に送り続けた。しかし、それらは何らこの街には伝わっていない。
(勿論、日本でもどこのマスメディアもそれらの大きな国民の動きを取り上げてはくれなかったのだから、
 仕方がないとも言える) 驚くことに、小泉首相がニューヨークを訪問したことですら
ニューヨークの新聞ではほとんど報道されなかったという。でも彼女は
「例え、時間が経った今でも、そうやって日本人のみんなが行動していたってことを知ることは、
 ものすごく心の支えになるよ」
と言ってくれた。