そして、再びWTCへと向かう道のりの中で、私はこの街の持つとても自然なタフさを思った。
誰かがこのシステムを考え、そして実現させたのだ。
でも考えてみよう。日本でもし同様なことが起こったとして、果 たしてこのようなことが実現できるだろうか。
大量の人の死と大変な景観の崩壊という事実から目を背けることなくまっすぐに向き合う。
さらにそれらをバネにして、この街の<強さ>をアピールしようという見上げた根性。
それは別の見方をすればいかにもアメリカ人らしいやり方とも言える。
でも、今回ばかりは私はそこに正直で純粋な<願い>を感じた。
そしてこの街の持つ、多種多様なヒューマンサイズを持ち続けようとする人と社会の意志の強さを再認識した。
そうして、目の前にした「 グランド0」の感想を、今、ここで書き続けることは今の私には困難だ。
でも、この街に生き残った人々が、それぞれの立場と役割の中で“After the fall”を受け止め、
なをも前向きに生き続けようとする姿は、書き続けられない感想とは別 の次元で
大きな余韻として今も私の中に響いている。
絶望は大きいし、ひとりひとりの死について乗り越えることや、
多くの人々がさまざまなかたちで受けた心の傷は簡単に癒えることはないだろう。
しかし人は生きている限り(死なない限り!)、
どんな状況の中でも必ず生き続ける力を持つことができるのだ。
都市が、さまざまな人々の夢と愛という巨大な感情によって(とても珍しくかつ貴重な形で)
支えられているニューヨークという生きたコミュニティ。
その在処を、垣間見させてくれたこの街とすべての人々の存在に感謝している。
ほんとうに生きる勇気が湧いてきた。 

2002.02.08 furuta nahoko
 

furuta room top  ★  ESSAY for N.Y.C. 2002 top  ★  close