古田菜穂子さま
こんにちは。メールをありがとうございました。 とても驚いて、うれしくて、でも、どきどきして、なかなかこのお返事メールを書き出せませんでした。
デビューしたときから、お知らせしたいと思っていて、やっと思いがかなって……だけどそれは自己満足でもあり、本をお送りしたあとも迷っていましたので、メールをいただけて、本当にうれしかったのです。
安心した、みたいな気持ちもあります。
わたしも無事(?)四十路になりました。 ラジオの頃は幼稚園児だった娘たちも小5と小3です。 でも、何も変わっていない気がします。
当時は、あちこちの童話賞に送っては落ちたり通ったりの日々。 今は、いくつか依頼された仕事もありますが、書いて持ち込んでボツになったり、の日々。です。
今思い出したのですが、あの日、 東海ラジオに出かける途中、作品をひとつ応募先に投函しました。「これが入賞したら運命だわ」と思いましたが、それは落ちてしまいました。
二年後、(隔年開催の)同じ賞に応募した作品は優秀賞に入って、表彰式に行きました。 それを書いたのが10月。 直前9月に書いて別の賞に応募していたのが、デビュー作になった(お送りした)童話です。
スタジオでお目にかかった頃も、そのあとも、わたし、ずっとずっと書いていたんです。
小島さんは今もニューヨークにいらっしゃるんですね。 実は、以下にコピーするのは、昨年1月の日記です。 ホームページに載せているので(すでに人に読まれているので)
紹介させてください。
★1月23日★
3年以上前になるのだけれど、地元・東海ラジオの番組に出演させてもらったことがある。 30代の女性を応援しよう的な趣旨の、「トランタン〜ぼくを探しに〜」、あのシルヴァスタインの絵本からタイトルを取ったという番組だった。
わたしはその少し前に、朝日新聞の投書の特集に載せてもらっていた。「童話作家になりたい」と書いたのだ。 それが縁で、番組から声がかかり、「童話作家を目指す主婦・後藤みわこさん」として出演した。スタジオでインタビューを受け、「君は君の誇り」(中西圭三)や「SOMEDAY」(佐野元春)なんかをかけてもらった。
で、そのとき、番組内で「童話作家になる!」と宣言して…まぁ、「作家になった」とはいまいち言い切れないのだけれど、とりあえず、本は出せた。
最初の目標はかなえたよ、というつもりで、「トランタン」の司会だったアナウンサーの方に本を贈るべく、東海ラジオに電話をしたのだが…。
2年も前に退社されて、今はニューヨークに住み、連絡の取れる者はおりません…とのこと。 彼女に報告する…というか、彼女にわたしのことを知ってもらうには、「有名」になるしかないのだな、と思った。
日本の新聞は読むかもしれないから、せめて、大きな新聞に名前が載るくらいには。 わたしの名を覚えてくれていたら…の話だけれど。
宣言したことが、わたしを変えたのだと思う。 その意味で、投書を載せてくれた朝日新聞と、それを拾いあげてくれた東海ラジオは、「恩人」でもある。小島さん、古田さん、とりあえず「トランタン(30代)」のうちに、ここまでは来ることができました。この先も進めるように、がんばりますね!
今、わたしのまわりには、児童文学の世界で同じようにがんばっている、30代、40代のライバルたちがいっぱいいます。
「同じように」といっても、それぞれの仕事ぶりは違うのですが、落ち込んだり、立ち直ったり、高揚したり、また転んだり…をそれぞれ繰り返しています。
「トランタン」に出していただいたころ、わたしは「応援していただく側」の気分で、がんばっている自分のことしか見えていなかった気がします。
今でも、かなり「そう」かもしれませんが、少しでも、自分の失敗談(ほんのたまには成功談)が、同じ道を目指す人の役に立てばいいなと思って、創作日記を公開しています。「デビューしました」とはいえ、まだまだ2年生、がんがん転びながら、になりそうですが、なんとか前進して行けたらと思っています。
では、今夜はこれで。 メール、本当にありがとうございました。 |