2002.8.31 |
今日は、HPリニューアルを祝して、ちょっと長めですがわたしの秘密(?)をお話します。
ここからは、いつもは表に出さない、もうひとつのわたしが いかに今のわたしになったかを 簡単に書きたいと思います。
1961年8月9日、AM10:20 岐阜市生まれのなぁんと41才、
ちょっと自分で信じられない、でも、そう言っていられるのは あとどれくらいなんだろう…?
子どものころから、多くの方が子ども時代に経験することごとよりもかなりいろいろなことがあり、その自分のココロのダメージを救うための自己防衛本能により、あるファンタジーを、ココロの在処として持ち始めました。それが、いわゆる神様事で、例えば、物心ついた頃=小学校低学年から<神想観>という名の下に、毎週日曜日の早朝、近くの神社で、掃除をしてから
玉砂利に正座(!)してお祈りをするという妙な小学生でした。
しかし、ある程度の年齢=中学校から高校時代になると、そのファンタジーの在処に対し、一定の客観的な視点を持つようになり、それらは 哲学や、心理学、アートに転化されていき、さらにちょうど、時代的に「革命!」と叫ぶ女子大生が亡くなったりする様子をテレビ越しに
見聞きしたりするような時を迎えて、そのあたりのファンタジーを卒業(?)して、行動が どんどん社会運動化していきました。(注:当時は、人類光明化運動と命名されていました、なんか凄いね)。
とは言うものの、自己表現としては、漫画を書いたり、映画をつくったり、文化祭活動などにはまりはじめ、(これは多分に当時の恩師達の影響もあり)そのなかで、それらを
いかに伝えるかを考えつつ、苦しみながらも楽しく生きていました。 また、高校時代に、松岡正剛さんが創刊した 「遊」(工作舎刊)という雑誌に出会い、衝撃を受け、スピリチュアリティと
ニューサイエンスの出会いに心がわくわくしましたのも大きな出来事でした。 同時に、今はなき「MC SISTER」(婦人画報社)というファッション誌が大好きで、投稿したり、その中で、カルチャー、ファッションに見る、カリフォルニアのニューエイジスタイルを発見し心酔し、将来は、映画をつくるか、
シスターの編集者になるぞと東京行きを決意したものです。
大学時代(80年代)には、大学生として東京でまあ、結構、真面目に勉強もしていたし(社会学は面 白かったし)、旅をしたり、映画を作ったり、その資金づくりのためにバイトをしたりと、
いろいろやりながら カリフォルニア・ニューエイジ・ムーブメントを探求していきました。すると、それらは子どもの頃学んだことと実はほとんど同じだと知り、日本や、アジアの密教、仏教、神道ってすごいじゃんと、万教帰一を悟った気分に。
90年初頭までに、チャネリング、前世ワーク、ブリージング、ヨガ、ディープ・エコ、オーガニック・フォード(家の近くに、穀物レストランの代表格 風 があったので)
ハーブ、ネイティブアメリカン関係を経験し、クリスタルにはまる。(代官山にあった、トヨ・ジ・ペドラにいつも行っていた) 同時にドルフィン・スイムや、ドルフィンヒーリングを体験しようとハワイなどへ。(当時はエクトンという存在をチャネルするリチャード・ラビンと親しかった。リチャ
ード、カッコよかったし!) そのころ、まだ一般的な言葉でなかった癒しという言葉やヒーリング&リトリートって、来るぞ!とうわけで、それをいかに社会化するかについて考え始める。
すべてはつながっている。そして、すべてのつながりを取り戻すこと。 また、天河、高野山、熊野、幣立、四国など、日本の聖地めぐりをはじめる、といっても、心の赴くままですが。
そのうち、自分の地元の岐阜ってすごい聖地じゃん、長良川って、最高!と想い、ずっと、東京と半々で暮らしていたのを、少し多めに、岐阜にいるようになる。
2000年、いよいよ来ましたね、アクエリアスの時代が! 昨年、久しぶりに80年代にはまりまくったカリフォルニアの、ニューエイジの発祥の地やシャスタ山などに行ってきました。
今、心理占星学者の真弓香さんと一緒に、 いくつかのプロジェクトを行ってもいます。 香さんは、サンフランシスコ在住で、アストロカートグラフィという
場所をアストロロジーでみることができる 日本では唯一の公認アストロロジャーです。
そんなこんなのサブ・カル・ロードと、プロデューサーや、ライター、アートプランナー、ディレクターとしての社会的な活動ロードと、パーソナルなココロ・ロードとが、それぞれパラレルにDNAの螺旋のような時の軌跡を描きつつ、ある方向に向かっているのが
今の私です。 楽しいこと、悲しいこと、いろいろあるけれども、ほんとうに良き人と人との出会いと そして大好きな、場所の感覚〜空気や風、光、川の流れ、空の蒼さや、
山の緑などの美しさに支えられて、 なんとかかんとかやっています。
とっても不器用な人生だなぁ、思えば。 それではまた。
2002.残暑厳しき八月の終わりに |
|
|