萩原高の部屋  過去の日記 その2(2001.7.23)



ようやくに、窓際族になった。快適である。廊下側のベッドから、窓の近くに移らせてもらった。
当然、自宅にはない、4m強のワイドビューの世界が開けている。
この入院棟、遠くには青山通り、近くには明治神宮野球場の文字が、
右に神宮プール、正面は絵画館の背中と木々の緑の海。眼下に高速道路が見える。
高速とは、正確には、言い得ていない。首都自動車専用幹線とでも呼んだほうがよい。
この三連休、(7月20〜22日)「ものより、想い出」を我が子に与えようと、
多くの日産車は、紫外線の強い場所へ繰り出しているのだろうか。
絵画館のドーム型の屋根の先に、日章旗がはためいている。
日章旗は、中田のいるイタリアでも揚がっている。
「サミット」ジェノバでの小泉プレゼンテーターは、
英国留学のクイーンズイングリッシュでディベイトできたのだろうか。
和製リチャード・ギアと言われたヨイショに、乗っているのか。
茅ケ崎の海を思い浮かべているのであろうか。はたまた、それとも、音楽好きなことから、
ジェノバ生まれのヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニの音色を耳にしているのであろうか。
(「らいおんはあと7・19」には、ヴァイオリンには、ちと詳しいよ、と書いてあったからだ。
<以下抜粋>
中学のオーケストラ・クラブでバイオリンをやっていた。今でも一番詳しいのは
バイオリンの曲。同じ曲でも、指揮者やオーケストラによって全然違った曲に聴こえる。
私は、小泉内閣というオーケストラの指揮者だと思う。オペラの国イタリアで、
各国の指揮者と会うのを楽しみにしています。)
ブッシュという第一ヴァイオリンをコントロールできただろうか。
京都議定書が批准されるかどうかは別問題にしても、
デトロイトと、愛知三重静岡は、主要な車の生産県。
参議院選挙が始まったが、排気ガス問題は、自動車重量税は、 道路特定財源見直しは、
この首都高を走るタックスペイヤーの、 カーオーナーこそ、気になる問題ではある。
いままさに、眼下では、ヴィッツが懸命に、スマートを抜いていこうと追い越しをかけている。
抜いた。入った。 少子化時代に入り、高齢化社会に入り、同乗者も少なくなった。
「ゴルフもしなくなった。しても、宅急便で先に送ってしまう。、
 だから、いいんだコンパクトカーで」と、 さくっと言ってのけた友人がいる。
確かに、頷ける。コンパクトカーの時代に入った。
ベンツが、190E、いわゆる「子ベンツ」を市場に出して以来、Aカーから、「スマート」まで、
一時期のコンピュータ業界のように、 ダウンサイジングしてきた。
夫婦で運転するリタイアの車としても、増えるのだろう。
スマートは、ついに右ハンドルでサイズを削って、 軽の市場にまで入り込んでくる。
ベンツのブランディングが、安全の信頼感を受け継ぐ。
イタリアでのフィアットや、 パリでのルノーのようなコンパクトカーは、
石造りの歴史的な町の狭い道路では生まれるべくして生まれた。
日本は、田んぼのあぜ道のような道路作りだから、 やはり、コンパクトカーのほうがふさわしい。
アウトバーンの高速度も出せないのに名ばかりの「高速道路」では、
リア・スポイラーの付いた車は、どこかウソっぽい撮影車のように目に映る。
ひところの、カンガルー・バーのようなRV車の装備も、日本には不要なものだった。
なぜ、走っている車を俯瞰していて、判別が出来たかだ。
まさにアイデンティティがあるからだ。何台もの車が、走りすぎていった。
しかしながら、なんと、どれも同じデザインということに気づく。
コンピュータの流体力学で作り上げていった時代、 そのほとんどが角形になり、
ブレイクスルーとして、 リ・イマジネーションしたのが、三菱「ギャラン」だった。
(remake・・・再制作、reimagination・・・再創造。「ジョーズ」「ミッション・インポッシブル」
「猿の惑星」なども、後者だという。)
コンピュータ画像よりも、 熱い温度のクレー(粘土)を両手で撫でながら形創っていった。
磁器のような柔らかさと艶を大事にしたという。
一台一台叩き出したような曲線を活かすため、 朝の街の風景を映し込ませたCMが印象を強くした。
indivisual 4door sporty saloon と言ったのではなかったかと記憶する。
あの頃から考えれば、再び今、似たようなシェープが氾濫してきた。
しかし、フォードの手になるジャガーは、スポーティ・エレガンスだし、
メキシコでしか創っていないカブトムシの最新リメイクは、 まだまだ個性的である。
フランスのプジョーと提携したトヨタのヴィッツは、「ヤヌス」と名前を変えた。
Aカーよりさらに小型を狙ったダイムラーは、
カジュアルな時計ブランド・「スウォッチ」と腕を組んだ。 凝縮された個性ある車だ。
走る車線から目ざとく確認できた2車種は、EUの世界で、 誰を喜ばせるのか。
日本でもようやく、人並みではない個性がやっと、陽の目を見始めている。
「変人」が「変革人」といわれ、群れを組まない「一匹狼」的な、毅然とした者が、
それぞれの分野からあぶり出されてきた。
Aoki,Nomo,Nakata,Ichiro,Taniguchiとなると、
プロ・スポーツ・プレイヤーは、当然自力の結果となるが、 Koizumiは違ったようだ。
個性的なことが、意味を持つ時代が始まった。
大学の過度に集中している首都圏からではなく、コンサバティブとも言われる都・京都こそ、
日本のシリコンヴァレーだと経済誌が言い始めた。
山口県のユニクロの柳井社長のような経営者に、羨望の眼を向ける経営者が多くなった。
しかし、ユニクロのシャツを着こなす若者が町にあふれて来たら、
彼らのオリジナリテイ、アイデンティティは、どうするのだろう。
茶髪で携帯持って、ユニクロ着て、 デイパックをだらしなく背中からずり下げて、
サーファーズパンツで歩いているのは、 個性があると言えるのだろうか。
いや、まてよ、昔、我々の世代が、銀座でバミューダ・パンツをはいて、
慎太郎カットにして、 ハイボールを飲んでいた姿とどう違うのだろうか。
海の無い銀座にフロリダ・ファッションが、
蔦のからまらないキャンパスでアイビー・リーガー・ファッションに身を包み、
ヒップに尾錠がついたスラックスで、ハイボールならまだよしとしても、
水割りという飲み方でウイスキーを飲んできた大学生。
人並みに一色に染まる、メディア依存型の訳知り日本人。
「改革しているのは…」のワードで訴える、金太郎飴のような参議院選挙のアピールは、
ヴィジョンを語るより、15秒で連呼するCVS商材のセールストークのようで、
立候補者の人間的な視点、キャラクターが相変わらず見えない。
そういえば、企業の大型合併で、 それまで広告会社の担当が戦略と称して、提案し、
タレントで作り上げてきたアイディンティティは、 至る所でもろくも崩れてしまった。
経営戦略という単語は、 広告会社のクリエイターが軽く口にする単語ではない。
「ブランディングの早急なやり直しが必要だ。」という言葉も、間違いだ。
「ブランド」とは、顧客と市場が容認したときに、与えられるものだ。
さて「ブランディング」。
発信者側から創れるのは、ヴィジョンを明確に表明することではないかと。
受信者側が、時間を重ねて、信頼という「コケ」を育んでくれそうになるように、
水を与え続けることではないかと。
だから、もっと、アイディンティティという単語を重視していこう。
まず、一歩は、オンリーワンより、オリジナルワン。
そして、オンリーワンへ。
アイディンティティに価値がつけば、「ブランディング」が進み始めるのではないか、と。
貴方の会社に、SMARTはありますか?

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