萩原高の部屋  過去の日記 その6(2001.8.8 up)




毎朝、視界の中に最初に入ってくるのは、白い帽子をのせた笑顔だった。
疲れているはずの徹夜明けした看護婦さんに起こされてきた。
しかし、1週間が過ぎたころから、次第に朝の目覚めが早くなってきた。
今日も5時半であった。腕時計を疑う。が、眠くない。
朝の尿意が、目覚まし代りでははあるが、
体内時間というものが、規則正しい患者の生活に与えられてきたからだ。
朝の清々しさというものを久しぶりに味わった。
熱海で生活していた時から、しばらくは忘れていたことになる。
すこぶる単純な時間をもう何日か過ごしている。
毎日が単純だと、単純ではないものに敏感になる。
病室に様子を見に来てくれる甲斐甲斐しい看護婦さんの表情だ。
ナースという単語は、スチュワーデスとか、エアホステスとかいう響きと
おなじカタカナでは言い得ないものがある。 「さん」をつけたくなる。
ホスピタリティがあるからだ。 体温を含んだ「看護婦さん」。
照れ臭いが、そう呼びたくなるのである。
横たわっていると、その心遣いをひしひしと感じるのである。 病室を2回変わった。
7人の患者が退院したりで入れ替わった。看護婦さんの患者に対する言葉遣いに感動すらさせられる。
それがなにかということに気づいた。
自分たちが常日ごろ話している言葉のテンポと違うことだ。
ナースセンターで話している会話とは違っているのだ。
病室に入るところから、深呼吸でもしているのだろうか、患者への話し方に、
ゆっくりとした流れが出てくるからだ。
ベッドの横たわっている人間は、当然であるが健康体ではない。
その患者の眼は、常に人を仰ぎ見る形になる。 反対に患者を見る者は、常に見下ろすことになる。
こころ穏やかでない者には、威圧感を与える。
だからこそ、穏やかに話してくれるのだ、ゆっくりと。
母のかいなに抱かれているような子守歌のテンポである。
患者は彼女たちにとって、その殆どが父親以上の年齢である。
同じ看護婦さんでも、患者への語り方の内容もそれぞれ全く異なっている。
中には、また戻ってきた患者に、前の話の続きをし始めている。
嬉しいようで悲しい複雑な気分にさせられるが、
患者は母に会えたような柔和なほほ笑みを返している。
それにしても随分我々は、早口になったものだ。
パーソナリティを重要視し始めたラジオの番組が、テンポを早めたという者もいるが、
おそらくこれは、日本のCMの影響ではないかと思う。
番組CMである60秒や30秒の時代には、まだそうでもなかったが、
15秒のスポットCMが主流になったことで、 限られた時間の中、出来るだけ多くを詰め込むあまり、
声高にもなり、早口にもなった。 言葉足らずで、短絡な文脈が日本を覆ったことだ。
以心伝心と言う国、俳句の世界ではあるが、 それは、互いに価値観が同じときには、
確かに省略の会話が成り立つ。 しかし熾烈な市場の戦いの場で、
エンドユーザーの生活感よりも、 広告主側の自社の商品名を覚え込ませようとする
コミュニケーションには、 なりふり構わない言葉の応酬が行き交うようになった。
言葉が、銃弾となった。ナレータの声が少なくなり、
TVのバラエティ・タレントの嬌声がTVに眼を振り向かせる。
コマーシャルソングのメロディよりも、シンセサイザーの電気的リズムがCMの裏を囃し立てる。
ブツ切れの音楽が何時間も耳に残る。
黒柳徹子、久米宏、古舘伊知郎の切れの良い早口が、CMの世界ではもう当たり前になっている。
耳が追いつかないほどの、聞き違えるほどの早さでCMに差し込まれている。
これで、情報量が果たして増えたのだろうかと考えると、 どうも語るに落ちるのだ。
「狭い日本、そんなに急いで何処ゆく?」。 この交通安全のスローガンが、
人間と人間のコミュニケーションに問い掛けてくる。
「朝までテレビ」のディベイト?でも、人を説得する力を感じさせない。
殴り倒すような機関銃の話し方が、さも優位 に展開しているような錯覚をさせている。
勿論、仕掛け人が役割分担をさせてはいるのだろうが、
口にしたほうが勝ち、と言わんばかりである。親子の間ではどうだろうか。
生徒と生徒の間ではどうだろうか。
こういう自分も、ゆっくりとした会話を忘れていたことに気づかされた。
NHKの宇田川絹江さんがマイクに乗せるゆっくりとした話し方、
「ラジオ深夜便」がいかに、高齢者の気持ちを落ち着かせるかが理解できる。
看護する彼女達は、ゆっくり話す呼吸に加え、語りかける中身が家族の一員のような同化力をもつ。
まだあどけない顔の女子高生がTVのマイクに向かって「看護婦になりたいです」と答えるとき、
「病に倒れて帰らぬ人となったおばあちゃんを見守ったから」という姿をよく見る。
だから、最愛の人を失った気持ちが看護婦を志望してくれたに違いない、
といつしか思うようになった。 哀願の視線を毎晩刺されているのだろう。
すがるような眼をずっと見続けてきた人たちである。
診察や回診では見せない患者の顔を知っているのだ。
データでは読みとれない現場の個々の情報を知っているのだ。
インターンを引き連れた回診時の医師の冷たいとも思える、 事務的な話しぶりは、
工場視察の団体のようで、 患者が安心できる言葉よりも、
医師の軍団の統率連帯感を確認しているように見えてしまう。
例えれば、取り締まり役が会議に入った時の、
報告の上手さ下手さを考査されているような光景である。
担当クランケの検査項目の増減が、週販量 や、ROE(=税引利益/株主資本)を
報告しているように聞こえる。マーケティングの世界にある
「逆さまのピラミッド」(米国の経営コンサルタント、カール・アルブレヒト)が、
病院経営には無いのだろうな、そう思い始めた。
マーケティングの考えが遅れているのが、大学と病院だといわれ続けてきた。
大学と病院はいわば不安マーケット。これまで売り手市場という意識が高かった。
入れてやる、卒業させてやる、治療してやる、病人は黙っていろ。
これまで学生も親も病人も家族も弱みを持ったという「不安」マーケットであった。
それが、少子化時代を迎えた。定員割れの大学が出てきた。
就職難でダブルスクールの時代になった。インフォームド・コンセントの時代に入った。
カルテ開示を請求できるようになった。
どちらもソフトサービスのビジネスであるという認識がまだ低い。
「逆さまのピラミッド」の思考がまだまだ不足しているのではないか。
言い換えれば、「逆さまのピラミッド」が言うところの、
(経営者や管理職層ではなく)現場で接する従業員こそが、
エンドユーザーの要望と変化の重要な情報をストックしているということだ。
大学経営者にはゼミ教員であり、高校教師には出身学生であり、病院で言えば看護婦さんである。
病気をすると、どの看護婦さんもきれいな人ばかりだ。
言葉遣いがどれほど人を美しくしているか、ここにいるとよく解る。
家族と離れていることを、ことさら感じる夜から朝にかけての時間に、
ベッド脇のコールボタンを押し続けているのであろう。
それを待てずに体の不調を訴える声が病室から聞こえてくる。
毎朝、毎晩、廊下を伝わって聞こえてくる。
用を足して帰るときに見ると、時計は22時になったばかりである。
消灯が21時のため、困ったことが起きていた。 毎晩見てきたニュースステーションが見られない。
秘かに見ようとイヤホーンをしても、 ブラウン管から出る光の動きは止められない。
新聞紙でTVを囲ってみても、 稲光のようにカーテンの向こうに跳ね返っていた。
諦めて眠ることにした頃から、そういえば朝の目覚めが早くなった。
窓の外が外苑の緑の森とは言え、 星こそ、見る機会を失っていたが、
夜は、やはり、 自分にとっては、悲しいかな、星ではなかった。
8階のエレベーターホールから見る、新宿のスカイスクレーパーだ。
ミニ・エンパイヤステイトビルディングの新宿ドコモビル、東京ガス、都庁、
外資系のホテル群などなど、虎之門の森ビル群や、丸の内三菱ビル群とは異なる、
マンハッタンを思わせる風景がここから眺められる。
この高さの空間に、大人のバーカウンターを置けば、 札幌の「N43(*)」に勝てるな、と
不謹慎なことを考えた。
今夜は、久しぶりに都会を癒す雨が降った。

(*)N43…札幌市中央区伏見に「N43」という名前のレストラン&バーがあります。
札幌の緯度北緯43度にちなんだ名前です。市内を見下ろす山の中腹の地崎バラ園の前にあります。
札幌市内からタクシーで15分ほど、札幌の夜景を楽しむには最高のスポットです。
営業時間は5時から深夜2時まで、年中無休だそうです。電話:011−551−0043


追 記
8月8日、テレビ東京では23時の「ビジネスサテライト」に特集が組まれた。
題して「患者を獲得せよ!病院生き残り戦争の舞台裏」だった。
病院を特殊な白亜の棟にすることなく、人命を守る、患者を守るというビジョンで、
病院を運営しようとする動きだった。まさに、遅れているマーケ意識を指摘していた。
病院コンサルタントの活躍だった。 「ウエルネス」という企業は、
川崎に「医療モール」と称するビルを建設。
病院事務業務代行、医療器具のレンタルを受け、300万円でビル内に開業できる。
「ウエルネス」佐藤誠一社長は、地域医療の充実を目指し、
今後100モールの設立計画を持っているという。
株式会社組織の病院が、地域の患者を守るという臨床医学の場を充実させていってくれるとなると、
漸く病院もサービス業務であるという認識が高まることで、喜ばしい。
大学も病院も、研究分野を深める事以上に、社会に送出して日本を創る人物の育成であり、
研究以上に臨床医学で健康な安心できる人間の精神を啓発、発奮、再活性化して欲しいものである。
「お客様という意識のない病院」というナレーションが、耳に残った夜だった。


過去(2001年)のエッセイを読む

 その1
(7/23)その2(7/23)その3(7/30)その4(7/30)その5(7/30)

その7(8/8)その8(8/8)

鳥の眼犬の眼笑鬼の眼TOP   このページを閉じる  ソーホー・ジャパンのHPを訪問