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八点鐘コメント『現在、太平洋とインド洋を結ぶ要所であるシンガポール海峡の東入口から北北東70海里(約130km)を航行しています。シンガポール海峡は様々な国籍、酒類の船が行き交う国際海峡です。関門海峡も津軽海峡も同じように、その国に害を与えなければ自由に航行できます。海のシルクロードに想いを馳せながら、シンガポール海峡やマラッカ海峡をご覧下さい。
ただし、この海域は、海賊に警戒しなければなりません。最近は、当局の厳しい海賊対策により、発生件数が減っていますが、本船は不審船が近づいて来たときに備えて、放水と音響兵器による撃退準備をしています。海賊対策実施中のご協力を宜しくお願いいたします。
シンガポールの本船停泊位置は北緯1度15分で、この航海で最も赤道に近くなります。パナマ運河は、北緯8度から9度で、しかも、赤道を通
過はしないのです。
本日は、14時30分頃にシンガポール港外に到着しまして、水先案内人を乗せます。そして、着岸予定は16時少し前です。上陸時には、暑さ対策と水分補給をお忘れなく。天気は晴れ、外気温は27.5℃、海水温度30℃、速度17ノット(31.5km)。』
シンガポール入港日であるが、今朝も9時からレギュラーメンバーは集合する。デッキゴルフである。新しく参加する人は来ていない。中島さんは、既にレギュラーメンバーとみんなが認めている。今朝は、じゃんけんの組み手を変えてみたいという提案があって、互いに相手を変えた。但し、キャプテン格の高嵜、松田両氏は、その限りではない。
全員ゴールのルールで始めた。最年長者の菅谷さんがスタートから快調に飛ばす。ベテランの工藤さんが不調。松田さんは、ロングシューターとして復調してきた。床面
のコンディションは滑りが早い。僕はといえば、どういう訳だか、第1、2ホールと、他のプレイヤーから抜けだして、これまた好調。理由は判らないままに、我々のグループの方が勝った。1勝。
少し、先にあった雲行きが気になっていたが、案の定、シャワーとなって、デッキが濡れてきた。それでも、みんな構わずに2戦目をするのだ。今度は、全員でじゃんけんとなった。組み分けは、結果
として、松田夫妻と工藤さん、菅井美子さんのアマゾネス組と、対抗する男性軍とになった。じゃんけんで決めた組み分けだから、時の運。男性軍が、圧倒的な早さで全員ゴールした。で、2勝。僕の通
算は、6勝1敗となった。今後、パソコンで戦績を記録していくことになった。
デッキゴルフをしている間、気になったことがある。デッキに鳩がいたのだ。誰かがパンくずと水を与えていた。洋上ではあるが、渡り鳥ではない、鳩である。デッキをウオーキングしている人も、遠眼で眺めて通
りすぎる。鳥インフルエンザを警戒しているからだ。可哀想だという気持ちよりも、不思議でならなかった。近くにすれ違うほど接近した船はない。いま注目のH5N1型・鳥インフルエンザは、渡り鳥がウイルスを運んだと考えられている。こうした鳥インフルエンザに、シンガポールの対応が素早かったと03年の(航海日誌)本に書いた。日本では、いま、それが指定感染症に指定された。人から人への感染が時間の問題だと言われ始めた。世界で数千万人被害を受けることになる。どこから飛んできたのだろうか。答えのでないまま、デッキを去った。
昼食でご一緒したのは、確か、福岡からのFさんというご夫妻のはずだ。2003年次にも乗られている。ダンスがお好きな方だ。しかし、話のきっかけが掴めないままになった。黙ったままであるから、なにか、ご都合があるのだろうと会話なしで食事が終わった。そういう気分の時は自分でもあるのだ。
雑誌「ラシン」の鈴木さんとカメラマンが離れたテーブルから、立ち上がって挨拶をしてくれていた。彼らは、此処で下船して帰国するのだ。団塊の世代夫婦が、思い切ってクルーズしたくなるようなモチベーションを高める本ができると嬉しい。この船の中で、一番僕に近い同業者の彼らが居なくなるのは少し寂しい気がした。
16時に外出の用意をした。勝手知った懐かしい長い通路を左折してイミグレを出て、ハーバーセンターのエスカレーターを降りた。1週間ぶりに地に足をつけた。3年前は、このシンガポールのポートビルから出た途端に、かなり強い土砂降りに見舞われた。稲光も激しかった。今夕は、5km先のセントーサ島へワールド・センタービルの屋上近く、16階から張り出した空中ゴンドラで降りる予定だった。しかし、補修点検の時期のため、乗れないのだと言う。それを知らされた松田夫妻は、オプシュナルツアーをキャンセルした。昔の僕なら、「事前のロケハンが意味をなしていないではないか、最終確認はいつしたのだ」と、内山ツアーディレクターにクレームを出していただろうなと思う。我々の業務では先発隊のロケーションハンティングは、とても重要な任務である。撮影すべき場所が工事中だったら、後続のロケ隊の到着の意味を失うからだ。スタッフを呼び込んだ時点で、何百万かの制作準備金が無になるからだ。僕は、プロデューサーに怒鳴っていただろう。このレベルの情報が、出航時点で確認できていないことが甘い。ハーバーフロント駅から島に渡るゴンドラは、60mほどの高さだと言われる。夕方とはいえ、展望する視界は、それなりに印象的であるはず。失望感は否めなかった。
ナイトツアーには60名が参加する。予め指定された2番バスに乗り込む。使う予定もないのだがと、両替を迷った。バスに乗り込むと、シンガポール・ドルに両替する方は、と声がかかった。こうしたときの最小単位
は、3000円分だ。手を挙げた。38SPDが戻ってきた。レイトは1ドル79円だった。
ガイドは、「麦」と書いて、マイクだと自己紹介した。今日の気温は27℃。昨夜が33℃だから、今夜は過ごしやすいですよとマイクはいう。多くの国民が住めるようにと建造した公団住宅は、バスタブもエアコンもないので、シンガポール人は、冷えた店に入り外食をして、蒸し暑い家には夜遅く帰るのだという。母親も勤めている家庭が多いので、キッチンで料理することが少なく、児童のほとんどは弁当など持たずに、僅かな金を持っていくのだ、生活の一端を話してくれた。
橋を渡ってバスは停まった。入園料を払うのだ。マイクは、急いでいた。明るい内にマーライオン・タワーの頭に上って、港湾風景を見せようとしていることが判った。歩いてマーライオン・タワーの足下に着いた。37mの高さがある、コンクリートの像だ。観光シンボルになった水を噴き出すマーライオンは、8m。5倍弱のサイズだが、このマーライオン・タワーは、夜になると眼光鋭くレーザービームを発する。頭部が展望台になっている。僕は腎不全のため、内服薬に利尿剤が含まれている。狭い階段を上り下りする前に用を足しておこうと、近くのガイドにトイレを尋ねた。ところが回答はこうだった。
「だから言ったでしょ!トイレは、入り口にしかありませんって!」
日本人の現地の女性ガイドである。かちんと来た。彼女は1番バスのガイドで、僕は2番バスの乗客である。ガイドのマイクは、トイレについては話さなかった。それよりも「言ったでしょ!」の語尾が気に入らなかった。66歳とはいえ、子供を叱りつける母親のような言い回しに、怒りを覚えた。これでは、介護される老人だって、我慢できないだろう。最初の商船三井客船のガイド選定に、味噌を付けたものだ。サービス業であるガイドが、感情を剥き出しにして、客にぶつけるのであれば、それは、もう失格と言わざるを得ない。先回の本にも書いたが、先行する飛鳥Uに優秀なガイドを奪われたのかという気がかりがまた、脳裏をかすめた。ゴンドラに乗れない、ガイドに無礼な物言いをされた。いっぺんに気分を害してしまった。
やむを得ず、エレベーターで上がる。ワンフロアー降りると口から眺め、ワンフロアー上がると、風に吹かれる頭部に出る。そのときの眺めは、どうでも良かった。腹が立ったままだった。37mの高さに上がったということだけだった。急いで降りて、トイレを探して走った。集合時間には充分余裕はあった。
夕食のため、バスは、再び橋を渡り、ラッフルズ・プレイスに向かった。この金融街のビル群では、丹下健三や黒川喜章が設計デザインを競っている。香港より狭く、淡路島に近い広さの中で、世界の23社の保険会社、52社のエアライン、136の銀行があるのだ。アジアのビジネス・ハブとして、外資系製造業の統括機能が集まり始めた上海と、金融機関の拠点となりつつあるシンガポールが、アジアの二強と言われている。いまや、アジアの拠点とされた東京からこの二つの都市へ拠点を移す動きが激しいようだ。上海がアジアの拠点というのには、13億人の巨大な潜在市場があるからだろうが、一方、シンガポールは多国籍社会の労働力を持っているので、東南アジアからインド市場への対応を睨む企業にとっては、最適な位
置にある。高層ビルは、OUBやUFJの入っているリパブリックプラザも名が通
っているビルだそうだが、今夜は、UOB(ユニオンオーバーシーズバンク、大華銀行)ビルの60階にあるレストラン、「四川豆花飯荘」に導かれる。ここでは280mの高さから市内を一望できた。丁度眼下には、ラッフルズ像と赤い屋根の旧国会議事堂が見えた。
「四川豆花飯荘」は四川料理である。元々辛い料理の四川は、大好きな料理である。しかし、塩分制限をする身になってからは、何ヶ月も口にしていなかった。今夜は、予期せず、仕方なく?食べることにした。60名の席は、決まっていなかった。窓際を取る方、席を決めかねている方など、落ち着くまでに時間を要した。円卓は8名ずつであった。料理は、各自に行き渡るように、気をつけてそれぞれに量
を考えてください、こういうことがツアースタッフから言い渡された。なるほど、そういうことで我先にと箸を付ける方がいたのだなと聞いた。
船から離れた最初の外食である。しかも、ツアー参加者であるから、見知らぬ
方が多い。無作為にテーブルに着いたが、しばらくは誰も口をきかない。緊張しているのか、料理の出てくるまでの間、気まずい空気が流れた。
隣の男性に話しかけても一言二言で途切れる。他の2組のご夫妻は、自分たちだけ小声で話されている。言葉を交わすきっかけが見つからない。会話が出来たのは、三吉さんだけだった。同じ、ゆたか倶楽部から参加した女性だ。こうなると、横浜のホテルで前泊交流会をしてくれたゆたか倶楽部の心遣いが有り難くなった。リピーターでさえ、こうなんだから、初めての参加者は顔見知りがいるだけで安心されることだろう。
3年前の世界一周クルーズでシンガポール寄港した時の外食は、海鮮料理だった。実に楽しかった。新潟の菅井夫妻、北海道の中村、門馬、それに裁判官だった夫妻と、やはり8人席だった。ところが、話が次から次に変化して、盛り上がり、笑いが絶えなかった。出身地が北海道と新潟に偏っていたせいか、互いが一気にうち解けていったものだ。菅井夫妻とは、ここから長い付き合いになっていった。それに比べると、どうやら、今回のクルーズの空気は、3年前とは違うものになりそうな予感がした。料理は、ひさしぶりの塩分だということもあるが、とてもいい味だった。
この店で出すお茶は、変わっていた。香港で日本人観光客が、やたら飲みたがるジャスミンティでもない。しかし、広東人が飲むプーアル茶でもない。予め、茶器の中にクコの実、竜眼、菊茶などを混ぜ入れてあった。熱い湯を男が注ぐ。1mほどもある細長い管の付いた銅製の急須を、背中に後ろ手で持ちながら、茶器を目掛けて一気に注ぐ。注ぎ終わるときに、一滴もこぼさない、その鮮やかな仕草に、驚きの声が上がる。席のあちこちからデジカメのフラッシュが光る。この御茶は、「八宝茶」という。この店の売りのパーフォマンスであることが、食事の終わりに配られた栞で判った。
食後にバスで再び、セントーサ島へ渡る。アジア有数の水族館「アンダー・ウォーター・ワールド」に入る。小規模な施設だが、魚の種類は多いということだ。今流行のアクリルトンネルが、83メートルも続く。足下は動く歩道になっていて、その仕組みは、回転寿司のようなベルトコンベアに人間を乗せて回らせる。これなら、観客が増えても、見学時間が計算できる。上野動物園に、パンダが来たときの、歩くと言うより、押されながら、保安係のハンディスピーカーに急かされながらのことが頭に浮かんだ。幼児を持つ身の親の気持ちを考えると、このベルトコンベア方式は、なんと気持ちが穏やかになるかと。
出ると、次は、20時40分から此処の目玉、ファンティン・ミュージカルのラストショーが行われた。日比谷の野音のような場所で、すり鉢状に創られた階段には3000人が座れるという。水膜を作って、レーザー光線でキャラクターが飛び跳ねる。水量
の変化をコンピュータープログラム化されたショーである。子供たちには面
白いのだが、シニアには退屈でしかない。欠伸をして妻に叱られた。申し込んだナイトツアーを、てっきり「ナイト・サファリ」だと思いこんでいた。それが勘違いだった。サファリは、北側にあるのだそうだ。もう見る機会もないなと残念だった。
またまた、バスは、街に戻った。国会議事堂を過ぎ、クラーク・キーに入った。水面
に映るビジネスビル街が眺められる場所にバスは停まった。ナイトスポットである。写
真をどうぞというのだ。明日から三連休だから、川岸に並んだ夜店が活気づいていた。観光客には、2時間弱で来られるタイ人やインド人が多いのだと聞かされた。タイはいま丁度、旧正月なのだ。欧米人の復活祭に、仏教の旧正月。不思議な気がする。
リバー・クルーズ船は、赤い提灯をいくつも飾って、川面
に色を浮かべていた。お台場に集まる屋形船の光のようだ。頭上はなんと満月だ。僕はカメラを持ってこなかった。辺りが暗くなる場所で、つい何処かに置き忘れでもしようものなら、面
倒になる。ワイドレンズが欲しいところだが、今夜は、妻のコンパクトカメラに任せた。でも、東さんなら、どういうコンポジションを創るのだろうか、ふとそんなことを考える。
今夜添乗してくれたツアースタッフの清水チカちゃんのマイクを通したしゃべりが、俄然巧くなっている。よどみない。敬語も見事。誰かに声が似ているなと思ったが、判らないままに降りた。
帰船して、シャワーを浴びているとき、気づいた。 「あっ、岸恵子のしゃべりだ!」頭にひっかかっていたものが消えた。パジャマに着替えて、そのまま眠る。
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